2016-06-09

"映画の生き死には宣伝次第よ" 淀川長治さんの映画広告

21世紀の淀川長治
(キネマ旬報社・刊)

Yodogawa1

「映画へとひとびとを誘う言葉」と思いが詰まった一冊。
「淀川長治自伝」の「終回」から幕を開ける本書。
(その冒頭部分を引用)
"チャップリンは亡くなったのに映画はある。ジョン・フォードは亡くなったのに映画はある。ヴィスコンティの映画もルノアールの映画も永遠であろう。映画は残る。これは小説も絵画も同じこと。この世に何かを残すということはどれほど偉大なことか。"
シャブロル、ブレッソンから『荒野の一ドル銀貨』成瀬・川島両監督による『夜の流れ』などなど淀川さん口調で声まで聞こえてきそうな映画批評や監督論の数々。きっちりと批判したものも採録されていて初めて読まれる方はドキリとするのでは?
(とはいえ、あるのは映画を愛する心。P60わが映画批評の立脚点を読めば、その指針もうかがうる)
巻末には『キネマ旬報』ベスト・テン他が表だけではなくコメントも(←これは嬉しい!)そのまま採録されています。
カラーページに"淀川長治がつくった広告"といったコーナーが。
ハサミコミと呼ばれるキネマ旬報本誌に綴じこまれた広告を淀川さん自身によるレタリング、レイアウトで作られた話が語られています。
(図版は「駅馬車」「デッドエンド」「牧童と貴婦人」「ゼンダ城の虜」)
※確かキネマ旬報には1970年代中頃までチラシ自体を挟みこんで発刊されていたと記憶する。
そこで思い出したのが今から27年前に広告批評で特集された、この号。

Yodogawa2

広告批評』1989年5月号
特集・淀川長治ワンマンショー
43ページにおよぶ大特集。
(本誌自体が130ページなのだから、これは本当に大特集でした)
聞き手に川本三郎さん、島森路子さんをむかえてのインタビューを軸に構成。
第1部・どうしておしゃべりになったか
第2部・こんなふうに生きてきた
第3部・私の美意識
そして<付録>と記された映画広告にもの申す。
こちらには図版として他の著書でも見た記憶があるユナイト宣伝部時代に作られた有名な『駅馬車』の雑誌広告が。
他にはキャストやスタッフなど何も入れず、ただひとこと「駅馬車来る!」
当時としては画期的な広告。

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淀川長治のひとこと広告批評
(前年に公開された作品の中から選ばれたもの)
それぞれにコメントがつけられている。
続くインタビューページ。
(多分、ここで初めて読んだ知らなかった話←島森さんも、はじめて聞いたと答えています)
"角川春樹さんに、僕、呼ばれたの。あの人が映画を始めるときに。「一体なんですか」って言ったら「映画を大事に売りたい、商売したい。どうしたらいいでしょうか」って質問された。「映画の生き死には広告です」って、僕、答えたの。「宣伝しない映画は、絶対に当たりません。映画の第一は宣伝です。あらゆる方法で、見せるなり聞かせるなり、どんどん自信を持っておやりなさい」。春樹さん、一生懸命聞いてたよ。で、宣伝に力を入れられたね。"
(映画の生き死には宣伝次第よ、より抜粋)
この後に、ちゃんと「で、広告負けしたの〜(中略)〜やりすぎちゃったの。」とピシャリと言い切るあたりにも、驚く。(さらには東和の話、セルズニックの話もかぶせているので、ただの苦言でないこともわかる)
※他にも初出だと思われる話がいくつも。どちらかの著書におさめられているのかは未確認です。

追記
『21世紀の淀川長治』読み進めていくと(と、いうか、すぐに数箇所)やたらと誤字が多いなぁと思っていたら下記、告知が記載されていました。
キネマ旬報ムック『キネマ旬報コレクション 21世紀の淀川長治』をご購入のお客様へ お詫びと商品交換のお知らせ
http://www.kinejun.com/book//tabid/95/Default.aspx?ItemId=588


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2015-06-24

松本隆 作詞活動四十五周年トリビュート『風街であひませう』"背中合わせのランデブー" 吉田拓郎 - 松本隆 - 太田裕美

松本隆さんの作詞活動四十五周年トリビュート盤『風街であひませう』がリリースされました。(文中敬称略)

1975年頃~1980年にかけては自分にとって、まさに吉田拓郎 - 松本隆 - 太田裕美を"見て、聴いて、追っかけて"度合いが濃密な時期だったので、今回の限定盤ディスク2「風街をよむ」での太田裕美による「外は白い雪の夜」朗読は「おぉっ!これは、あの"背中合わせのランデブー"(※)の変奏的再現ではないかぁ!」とちょっと小躍りしてしまった。
※『背中合わせのランデブー』A面吉田拓郎作曲、B面太田裕美による作詞作曲。

Kazemachi

Memo1
「外は白い雪の夜」を初めて聴いたのは当時、吉田拓郎がパーソナリティだった「セイ!ヤング」(文化放送・金曜日深夜オンエア)で『ローリング30』レコーディング中、箱根ロックウェルスタジオからの生中継(1978年8月)
そこから実際に生での演奏や出来上がったばかりのピカピカのマスターテープなどがオンエアされた。
「これはレコーディングメンバー全員が大絶賛したという曲を今からやります」「えー、タイトルは"そして誰もいなくなった"というのですが」まだ曲名が「外は白い雪の夜」ではなかった。
ちなみに他にも生演奏で「旅立てジャック」「人間なんて」(「ちょっと、あれ、あれやってみようか」と少しだけ演奏)
箱根から特急便で文化放送に送っていた3曲から「君が欲しいよ」「虹の魚
ハートブレイクマンション」(「日当り良好(ひあたりりょうこう)」の部分をふり仮名間違いで「ひでりりょうこう」と歌っている間違いバージョン)が流された。
箱根ロックウェルスタジオは当時としては画期的なリゾート型レコーディング&リハーサルスタジオとして人気の高かった場所。フォーライフレコードの4人(吉田拓郎・井上陽水・泉谷しげる・小室等)による「クリスマス」アルバムもここでレコーディングされた)。
そして、不思議なめぐり合わせというか、このロックウェルスタジオは、その後原田真二が「Modern Vision」と名前を変えてオーナーとなった時期があった(今、どうなのでしょう?←すみません未確認)
そして、さらには、その原田真二デビュー作「てぃーんずぶるーす」(松本隆作詞、原田真二作曲)も箱根ロックウェルスタジオでレコーディング(確かアルバムもだったと記憶)

Memo2
前述『背中合わせのランデブー』に収録されている「失恋魔術師」はシングルとは別アレンジで、これが続く「花吹雪」「」(この3曲が松本隆作詞)への流れにピッタリ。この3曲、拓郎節と言われる独特の譜割りとコード進行全開で名曲だと思う。
限定盤ディスク2「風街でよむ」ディレクターの是枝裕和監督、ブックレット掲載のコメントで知りましたが太田裕美さんのファンだったのですねー( ´ ▽ ` ) ちょっと嬉しい。初めて買ったレコードが中学1年の時の「木綿のハンカチーフ
ブックレットが130ページ。これだけで独立した書籍の趣き。
(もちろん本文縦組み)
風街でうたう、集う、よむ、撮る、創る、語る、思う。
それぞれに応じた内容で綴られる、アルバムや購入者特典の限定公開是枝裕和監督ディレクターズカット「風街でよむ」など全体通して、これ以上ないのではないかと思える至極の仕上がり。

風街であひませう
http://www.jvcmusic.co.jp/kazemachi45/


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2013-12-12

小津安二郎監督 生誕 110年(没後50年)

2013年12月12日
「google」トップロゴが「小津安二郎監督 生誕 110年(没後50年)」にあわせてスペシャルロゴに。「東京物語」の終盤、義理の父・平山周吉(笠智衆)と戦死した二男の妻、紀子(原節子)、尾道でのシーン。

小津監督作品は70年代には、あまりよくわからず(洋画ばかり見ていたこともあり)全く見る機会がなく80年代に入ってレーザーディスクで鑑賞したのが最初(当時、ハリウッドメジャー作品はほとんどディスク化されず20世紀FOXのみが出ていたぐらい。何故か小津作品がLD化されていた←VHDという別システムはCIC配給系洋画が出ていて熾烈なる争いが始まっていた)
その小津作品初見時もピンとこなかったのもご多分にもれず。
のちにフィルムで特集上映(原節子出演作品として)であらためて見た時に「何っ、これ…。」とただならぬ美意識に衝撃を受けました(ある年齢を過ぎると急に感じいるところが多くなるというのも小津作品の不思議であり魅力だなぁ、と思います)。

Ozu2

(ハスミン関連書籍以外では)定番の2冊「小津安二郎の美学」「小津安二郎を読む」と今から20年前の没後30年の区切りに出た浜野保樹著「小津安二郎」(この本はサイズのこともさることながら、その時点で初めて知るエピソードなども数多く掲載されていてすごく参考になりました)

Ozu3

Ozu4

80年代後半から急速に高まってきた小津監督評価に伴って特集上映などが頻繁に行われるようになってきた際のチラシなど。
(「静」の文字が書かれているものはレーザーディスク発売10周年のLD-BOXセット、片面60分しか収録できないので17枚組29面でした)
左側チラシは今年(2013年)宝塚シネピピアで開かれた特集上映。松竹の小津監督が宝塚映画に出向して撮った作品「小早川家の秋」の一場面。

小津安二郎 生誕 110年
http://www.shochiku.co.jp/ozu/
小津安二郎の図像学
http://www.momat.go.jp/FC/ozu2013/

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2013-07-23

福山雅治・主演、西谷弘・監督『真夏の方程式』ガリレオにしてガリレオにあらずの傑作

注・内容に触れています。
東野圭吾
原作のテレビドラマ「ガリレオ」シリーズの劇場版第2弾『真夏の方程式』脚本・福田靖、監督は「容疑者Xの献身」の西谷弘。主演はテレビ版と前作に続いて福山雅治。テレビシリーズから吉高由里子北村一輝。共演は風吹ジュン前田吟白竜塩見三省

物語・手つかずの美しい海が残る玻璃ヶ浦。その海底鉱物資源開発の説明会にアドバイザーとして出席するために招かれた湯川は、旅館「緑岩荘」に滞在することに。そこで湯川は親の都合で夏休みを叔母一家が経営する旅館で過ごすことになったひとりの少年・恭平と出会う。翌朝、堤防下の岩場で男性の変死体が発見された。男は旅館のもう一人の宿泊客・塚原。これは事故か。殺人か…。(greenglay部分、フライヤーより抜粋)

Manatsu

Memo1
ドラマはスピン・オフ含めて全て見てきた上で鑑賞(劇場版前作も)。お約束の(毎回出るあの突如始まる計算シーンやコメディ部分に大きく寄与している栗林助手の出演シーン&研究室など)尽く封印して"こういう形"で映画化できたことによる、ガリレオにしてガリレオにあらずの傑作。そして、まさにこう表現できる「恭平少年と湯川准教授、夏の思い出」編だ。
(とは言え)逆に全くドラマも原作も読まずに全く白紙の状態で鑑賞した場合、どう評価されていくのかが(湯川教授の口癖の台詞で言うと)「実に興味深い」
で、"なつのおもいで"はこんな感じ→ ひとりで電車に乗っての旅、夏休みの自由研究、すいか、バスタオル、花火、ジワッとふきでる汗で目覚める朝、変わった大人との遭遇…。
「理科なんて何の役にもたたないのに」のひと言でガリレオ湯川の"ちょっとムキになったかも"スイッチが押される(テレビドラマでは毎回、吉高由里子扮する岸谷刑事が、なんとか事件に興味を持ってもらおうと四苦八苦する部分だが)。恭平の玻璃ヶ浦の海の中が見たいけど泳げないことへの科学的実験アプローチがペットボトルロケットだ(ここまでのくだりがホントに素晴らしい)
「全てを知って、その上で自分の進むべき道を選ぶべきだ」(説明会での反対派の人たちに対してのスタンスはそのままテーマとして反復される)。
実 際、非常に早い段階で事件の真相が判ってしまった湯川は、いつもとは違った行動パターンをとる。理由は本人は無自覚的にせよ殺人の手助けをしてしまったか もしれない(恭平少年のこと)その将来についてを案じるのだ。その台詞。「そのことによって、ある人物の人生がねじ曲げられる可能性がある」
誰もが秘密を持っている。
恭平少年もまた、大きな罪の呵責をもって、これから生きていくことになる。苦い。だが同時に湯川と過ごした夏の思い出(ペットボトルロケットのが、きっと勇気づけていくことになるのだろうな、と想像できるラストの少年の電車の中での姿に希望の光を見いだせる。案外、何年か経って恭平少年が湯川研究室に入ってきたりしてなどとも想像してしまった。その時、栗林さんが相変わらず助手のままだったなんていうオチまでw

Memo2(ちょっと思い出したので蛇足)
少年の成長で言うとポール・ギャリコ(「ポセイドン・アドベンチャー」「スノーグース」原作者)の傑作にして未文庫化作品の【シャボン玉ピストル大騒動】が出たばかり。9歳半の発明家を夢見る少年ジュリアが特許を取るためにワシントン行きの夜行バスにひとりで乗り込む。70年代ロードムービーの趣もあって楽しい。(創元推理文庫・刊。表紙イラストが片山若子さん)

映画「真夏の方程式」
http://www.galileo-movie.jp/

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2013-04-17

村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

注・内容、台詞に触れています。
まあ、このタイトルからして当ブログにピッタリな事はない、ということで村上春樹・著『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
以前書いた記事→「村上春樹・1Q84」と「存在の耐えられない軽さ」

Haruki

Memo
アカアオクロシロ灰谷緑川
そして、"色彩を持たない多崎つくる"
高校時代の正しき五角形から突如スポイルされた多崎つくるが16年の歳月の後、その理由を知るための「巡礼の旅」東京→名古屋→ヘルシンキ

何故か、名古屋、浜松、岐阜。そういえば「国境の南、太陽の西」の時も豊橋が出てきたりと、このあたりは何かあるのかな、とも思ったり。
小説(物語)として伏線は全て回収しきる必要があるか、ないかという点も考えさせられた。灰田の(その後の)こと、灰田の父親のこと、シロの事件のこと。すべての物事の理由を知る必要がないといえば無いし、実際現実社会においても(何故あの時、そうなったかわからない事柄)謎は謎のままなのだし。
本作は著者自体も語っていたとおりジェットコースター的手法は使われず概ね時間軸通り、パラレルワールド世界も(夢の描写はあるが)ない。かといって、いつものリアリズム筆致(残酷描写に多く見られる)もない。読み進めていくうちに「あ、繋がっている?」と思わせる、あの感覚も少ない。ある意味新しい?ニューバージョンの村上春樹?("喪失感"や"失われてしまったけれど確かにそこに存在したもの"など、ハルキワールドではあります)。
時々Anagramを用いたりするので本著作でも色いろあるのでは?と、考えてみたり。わざとステレオタイプ的に女性を清楚なシロ、快活なクロと分けていること。中間的な受け皿としてのglay=灰田の存在など。
沙羅=真っさら(さら)←まさかねー。(これは考えすぎ)
あと、ふと途中思ったのが原恵一監督「カラフル」のこと。

終盤近く(希望的な光)
クロ
ことエリの台詞
「わたしたちはこうして生き残ったんだよ。私も君も。そして生き残った人間には、生き残った人間が果たさなくちゃならない責務がある。それはね、できるだけこのまましっかりここに生き残り続けることだよ。たとえいろんなことが不完全にしかできないとしても」

この台詞も
「ねえ、つくる、君は彼女を手に入れるべきだよ」
(「ダンス・ダンス・ダンス」の「ユミヨシさん、朝だよ」を思いだしたり←このラストが個人的には一番好きかなぁ)

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2012-08-03

吉田大八監督『桐島、部活やめるってよ』

注・内容に触れています。
朝井リョウ
・原作、吉田大八監督『桐島、部活やめるってよ』出演は、神木隆之介、橋本愛、大後寿々花、東出 昌大、他

物語・バレー部のキャプテンで成績も優秀な桐島。ガールフレンドは校内ナンバーワンの人気女子。女子に騒がれ男子からは一目置かれる、学校のスター的存在だ。ある金曜日の放課後、桐島の姿が見えない。何でも部活をやめたというのだ。突然のニュースに部員は騒然となり、噂はたちまち学校中に広がる。キャプテンの退部に、戸惑うバレー部員たち。ざわめき始める女子たち。不穏な空気が流れる中、映画部員たちが行動を始めた…(LiteBlue部分、goo映画より抜粋)

Kirishima

Memo
で、桐島は?
この本人不在で人物が浮かび上がる手法によって学内ヒエラルキーに混乱が生じ、各人のポジションにもビミョーな変化が。
映画が始まってしばらくは、同じ金曜日が4回(それぞれ視点が違う、時間が遡っている)そして全体像がみえたところで通常の時間進行に。原作が登場人物ごと各章にわかれているのに対して映画の方は同じ時間軸内で描く。それ故にラスト、登場してきた人たち全てが屋上に集結するあたりが面白い(しかも、何故このタイミングでw)

原作では読んでいる映画雑誌が「キネ旬」で犬童一心監督のファン。映画では「映画秘宝」にゾンビ映画、タランティーノ。で、中学の時に同級生だったかすみ(橋本愛)と映画館でバッタリ出会う、その映画が"塚本晋也監督「鉄男」"というのも本作の設定。(実はこのバッタリにもかすみ側から語られると違う事情が…(この別の側から見れば、というのがポイント。"あるある"感、いっぱいです)
※ちなみに原作文庫化に際して「東原かすみ〜14歳」が追加で収録されていました。
※このシーンについて監督がインタビューで→「もし『鉄男』を見に行って、そこにたまたま好きな女の子がいたら嬉しいじゃないですか。レアなケースだけど(笑)」

試写終了時に吉田大八監督と(神木隆之介と対をなす、もうひとりのキーアクター)菊池弘樹役、東出 昌大による舞台挨拶。「エンドタイトルで観客がずっとざわつくという噂を聞いていたけれど、今日目のあたりにしました。実は確信犯的にやっています」そんないろいろな事を持って帰れる映画。「また、時間をかけてゆっくりと消化してください」とも。

映画部(剣道部部室の片隅を間借りしている←確かに、これはリアルだw)といえば、やはりゾンビ映画。顧問の先生が書いた脚本(タイトルが「君よ拭け、僕の熱い涙を」←略して「キミフケ」w)を撮らされていたけれど、自分の撮りたいものを撮ろうと奮闘。涙ぐましい隕石の小道具とか撮影中にボールをひらいに横切る野球部員とか、ちょっと「SUPER8」を思い出した(あちらもゾンビ映画!)
ちなみにゾンビ映画のタイトルは「生徒会オブ・ザ・デッド」
ビックリしたこと→久々に大後寿々花をスクリーンで見た。大後寿々花というと、すぐに思いつくのが木皿泉・脚本【セクシーボイスアンドロボ】の「ニコ」役が印象的。(神木×大後は行定勲監督作品で共演してましたね)

この台詞
学内上下ヒエラルキー全員集合となる屋上での騒動の後、カメラのレンズキャップをひろって渡す弘樹。そのカメラを映画部・前田に向けてインタビュー口調で。
「将来は映画監督ですか?」
「映画監督は無理」
「…じゃあ、なんでわざわざ…」
「時々ね、俺たちの好きな映画と、今自分たちが作っている映画がつながってるんだなって思うことがあって、いや、ホントたまになんだけど…」

『桐島、部活やめるってよ』公式サイト
http://www.kirishima-movie.com/index.html



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2012-03-13

「イタリア・ボローニャ国際絵本原画展」西宮市大谷記念美術館

世界的に有名な「イタリア・ボローニャ国際絵本原画展」
1967年に始まって日本では、この西宮市大谷記念美術館が1978年に初の展覧会を開きました。その後、板橋区立美術館が1989年から日本におけるコーディネーターの役割を果たしています。

2012年は2012年8月18日(土)~9月23日(日)開催予定

2011イタリア・ボローニャ国際絵本原画展
2011年は58カ国2836名が応募、その中から日本人19名を含む20カ国76名の作家が入選。また今回は西宮市大谷記念美術館での特集展示として「関西ゆかりの作家9人展」も開催。
特別展示はフィリップ・ジョルダーノの「かぐや姫」
(原画とスケッチやページ台割なども同時に展示されたメイキング的趣もあって素晴らしい内容)

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たかい よしかず「ごちそうくろくま」

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正面入り口、入ってすぐにある記念撮影場所。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2010イタリア・ボローニャ国際絵本原画展
2010年は応募総数・58カ国 2454名。入選作家・87人(組)
今年の特別展示と図録表紙はタシエス

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正面入り口、入ってすぐにある記念撮影場所。
ケーストゥティス・カスパラヴィチュスの「ウサギのマーカス王」が全面フィーチャーされていました。
絵の中に入った感じで♪

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ロビーから中庭を望む。(ちなみに、こんなに空いている訳ではなく、人が一瞬いなくなるのを待って撮影です)。こちらの庭は外に出て散策もできますよ

2009イタリア・ボローニャ国際絵本原画展には(今や有名な)ショーン・タンも入選作家として展示されていました。(カタログ表記がシャウン・タン。原画は2011年発刊された「遠い町から来た話」)
特別展示と図録表紙はロベルト・インノチェンティ

※プラス、見落としがちなのが↓
西宮市大谷記念美術館・庭に展示されている岡本太郎作品「午後の日

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さすが西に向いて展示されていて、太陽の光をあびています。

西宮市大谷記念美術館 Home Page
http://otanimuseum.jp/home/

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2011-06-07

COLOR of CINEMA Twitter Edition

COLOR of CINEMA Twitter Editionについて。
ユーザー名はemanon23
梶尾真治×鶴田謙二おもいでエマノン」「さすらいエマノン」から。emanonはNO NAME、それを逆さに読んでエマノン。40億年の記憶を持ったエマノンという少女のあてどない旅。ちなみに梶尾真治さんの小説自体は1979年に発表されたものが最初。

さすがにTwitterユーザー名でemanonはすでに使用されていたのでemanon23で。

ブログの更新と補足追記などをTwitterで。
その他、ブログとは関係ない部分もゆる~く、ツィート。
blog Editionに未掲載の映画短評も今後はTwitterで。
(以上の記事は2010年3月記事)

Twitterは時々ツイート非公開になることがあります&一定期間で削除する記事もあり。

Twitter
Follow us on Twitter @ emanon23

COLOR of CINEMA Twitter Edition
http://twitter.com/emanon23

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2011-01-26

1969年、夏。宇宙の中心へようこそ『ウッドストックがやってくる!』

注・内容と台詞、ラストシーンに触れています。
エリオット・タイバーとトム・モンテ原作の回想録『ウッドストックがやってくる!』をトークショーの同じ日に収録に来ていた際に受け取ったことがきっかけでアン・リー監督が映画化。主人公エリオットにオーディションで選ばれたディミトリ・マーティン。友人ビリー(ベトナム帰りで心に傷を負っている)にエミール・ハーシュ。フェスティバルのプロデューサー、マイケル・ラングにジョナサン・グロフ。音楽が(ちょっと意外な)ダニー・エルフマン。

物語・1969年夏、エリオット(ディミトリ・マーティン)はニューヨーク州ホワイトレイクの実家に戻る。かんしゃく持ちの母(イメルダ・スタウントン)と父(ヘンリー・グッドマン)が経営するモーテルが火の車だったのだ。借金返済に悩む彼はある日、ウッドストック・フェスティバルの開催許可が取り下げられたという記事を目にした。そして…(ブルー部分記載シネマトゥディより)

ウッドストック・フェスティバルは1969年8月15日からの3日間、ホワイトレイク近郊の町の牧場を会場として開かれた。(劇中、実在の牧場主マックス・ヤスガーの登場シーンもあります)
本編中に全く演奏シーンは登場しないが、その分開催までのバックステージものとしての面白さの方に主眼が置かれている。

Wood_1

MEMO(数々の台詞)
強欲な母親の尻に敷かれてエリオットともしっくりこなかった気の弱い父親がコンサートの準備の中で変化していく。そして、当日、エリオットへの台詞。
「宇宙の中心を見てこい」
また、フェステイバル終了後、こんな台詞も。
「祭りは終わった。若者は旅立ちだ」

ビリーがエリオットと雨上がりの会場で泥と戯れて(ドキュメントでもよく見られるシーン)、一瞬ベトナム帰りの後遺症から解放されてのシーン。
「この丘、見覚えがある」
遠くのステージから「I Shall Be Released」が聴こえる。
ふたりが「Freedom」を実感する瞬間。

プロデューサー、マイケル・ラングの浮世離れ感を表す台詞。
問題が山積みで困惑しているエリオットに。
「大丈夫。いい波動が出てるから」
そしてラストシーン。
「サンフランシスコに来いよ」
「無料コンサートをやるから」
馬上(ドキュメンタリー映画『ウッドストック』ではバイク)から耳打ちするように
「ローリング・ストーンズ」
「ストーンズ?」
(聞き返すエリオット)
「そう」
明るいトーンを残すラストシーンだが、実は苦い。
そのサンフランシスコでのフリーコンサートこそ後に「オルタモントの悲劇」として記憶されるイベントの事なのだから…。

ちょこっとMEMO
・エンドクレジットにマーティン・スコセッシの名前が。
・ポスターがドキュメント『ウッドストック』のリチャード・アムセルがデザインしたもの(ドイツ制作ポスター版)を踏襲していて秀逸。
・エリオットのイメージが『あの頃ペニーレインと』の主人公ウィリアムと重なって見えた。

映画『ウッドストックがやってくる!』公式サイト
http://ddp-movie.jp/woodstock/

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2010-11-21

小林信彦 『映画が目にしみる 増補完全版』

小林信彦・著 『映画が目にしみる 増補完全版』(文春文庫)
2006年12月に刊行された単行本に未収録だったものを加え(映画のみに絞り)、さらに「あとがき+小さなコラム」をプラスして文庫化(82本追加)。全体を通して最も多く書かれているのはクリント・イーストウッドでしょうか(あ、実際はニコール・キッドマンかも)。小さなコラムには「硫黄島2部作」以降の3作品『チェンジリング』『グラン・トリノ』『インビクタス/負けざる者たち』について記載。
小林信彦による「コラムは○○○」のシリーズは、あとがきにある通り『コラムにご用心』『コラムの冒険』『コラムは誘う』『コラムの逆襲』『映画が目にしみる』と続いていますが、それより以前に『コラムは歌う』『コラムは踊る』(何れも文庫化の際のタイトル)も刊行されています。現在入手できないので是非、まとめて再発してほしいものです。
ちなみに『コラムは歌う』は1960年~1963年、『コラムは踊る』は1977年~1981年と約10年間の空白部分があります(ここの部分も他に書かれてきたエッセイなどで補完していただいて1960年~2007年初めまでを展観する一大映画コラムクロニクルができるのでは?と、少し期待と妄想)

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