2017-02-16

『たかが世界の終わり(Juste la fin du monde/It's Only the End of the World)』グザヴィエ・ドラン監督、ギャスパー・ウリエル、マリオン・コティヤール、ヴァンサン・カッセル、レア・セドゥ、ナタリー・バイ

注・内容、ラストに触れています。
たかが世界の終わり
Juste la fin du monde
It's Only the End of the World

監督 : グザヴィエ・ドラン
出演 : ギャスパー・ウリエル
ヴァンサン・カッセル
マリオン・コティヤール
レア・セドゥ
ナタリー・バイ

End

Memo1
フィックスで、この家族劇を捉えてしまうと本当にきつくて耐えられなかったかもしれないところを、表情のアップと心象風景、編集と色彩のリズム、効果的な音楽(「マイアヒ」が流れたときの一瞬、表出する思いで)などで見せる。
冒頭、空港からのタクシー移動中にリアウインドウ越しに見える、ふたつの寄りそって上がる風船はわざわざ飛ばしたのだろうか?
(他にもペア、対としていろいろなものが写る。それを車中からながめるルイ)
ルイ(ギャスパー・ウリエル)と母親マルティーヌ(ナタリー・バイ)、ルイと妹シュザンヌ(レア・セドゥ)、ルイと兄アントワーヌ(ヴァンサン・カッセル)
それぞれ、ふたりきりになろうとも、そのよそよそしさ、もどかしさ、ためこんできたものの12年の距離は埋まらない。
その中で兄の妻カトリーヌ(マリオン・コティヤール)だけは初対面(冒頭、エッ!?初めて顔をあわすの?と母や妹が驚くシーンがある)ということもあって、少し抱いている感情は違う。それどころか家族が気づかないルイの病気のこともわかってしまう。
「あと、どれぐらいなの?」
(コティヤールのこの表情芝居のなんという上手さ!)
また母親(これまた『わたしはロランス』に続いてナタリー・バイがスゴイ)のなんとか空白の空気と気まずさを埋めようとする饒舌ぶり、そして「母親にも新しい住所が教えられないの」といいつつも抱きよせ「それでも愛している」というときの表情、指先。
ふたりだけのシーンと家族全員が揃うシーンがバランスよく配置されている構成もスゴイ。
感情がぶつかり合うドラマなのだが、どこか理知的、理性的な印象をうけるのは、そのせいかもしれない。
いわば"感情"を"外部化"して見せているともいえる、その演出作法は演劇ではない"ディスコミュニケーションを表した現代の映画文法"として、ものすごく先鋭的だ。
先の母親の指先もそうだが、兄の拳の傷の生々しさ(あきらかに人に暴力をふるったとおぼしき傷あと)、手紙・葉書をすごい早さで繰る手など、それぞれの登場人物たちの"手の表情"も素晴らしい。
カンヌでの監督とマリオン・コティヤールとのインタビューでの監督の言葉。
「重要なのは、ある午後彼らが一緒に時を過ごしてひとつの空間でどうなっていくのか。誰かが耳を傾けていて誰かは上の空。誰が誰を見ていて誰が誰を守ろうとしているか。そしてそれは人生そのものだ。これは瞬きのような、とても限られた一幕だ。お互いに驚くほど無関心で愛し合い方を知らない人たちの人生の中でね」

Memo2
いったいどうすればこのようなブレのない色彩設計になるのか?
・美しい思いでとしての心象風景の色(空の青、幸せな光の色…)
・兄と車の中なら話せるかもしれないと出かけたドライブ、その際の曇天たる外の風景の色。
・ラスト、時刻が夕刻ということでオレンジ色に燃えさかるような色合いに変わる。
(そこで感情と感情がぶつかり合い、最後、何も告げずふりかえることもなくルイは去っていく)
カラリストは誰?ということで調べてみた。
Jerome Cloutier
http://www.imdb.com/name/nm4656752/
(前作『Mommy/マミー』と次回作も!)
ドラン監督によるAdeleのミュージックビデオ ‘Hello’についてCOLORIST ジム・ウィックスによる記事
https://www.jimwicks.com/adele-says-hello-to-color-grading/
パンフレットデザインは大島依提亜さん。
表1~4を除く正味本文が56ページ!(黒に銀刷り)
ジャン=リュック・ラガルス原作『まさに世界の終わり』の訳者齋藤公一氏、他、Reviewが6本!
監督、出演者インタビュー、フィルモグラフィ、
プロダクションノートと超充実した内容。
"家は救いの港じゃない"と繰り返される
オープニング Camille 「Home Is Where It Hurts
"誰にも届かない 心の叫び"と歌われる
エンドタイトル Moby「Natural Blues
(共に訳詞も掲載)

End_2

Memo3
『たかが世界の終わり』と『マリアンヌ』のマリオン・コティヤールを見て思いついたけれど、昔あったテレビ『どっちの料理ショー』もじりで『どっちのコティヤール』という番組はどうでしょう?全く別人か!?と思えるほど落差のある役を演じた俳優を特集。
(あ、『どっちーも・デ・ニーロ』という響きもいいなぁ)
ドラン監督次回作は初の英語作品。
キット・ハリントン、ジェシカ・チャスティン、ナタリー・ポートマン、エミリー・ハンプシャー、スーザン・サランドンらが出演する"The Death and Life of John F. Donovan" (既にファンメイド予告編とか撮影風景とか結構出ていてビックリ)

映画『たかが世界の終わり』公式サイト
http://gaga.ne.jp/sekainoowari-xdolan/

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2016-12-30

『この世界の片隅に』こうの史代原作、片渕須直監督・脚本、のん、細谷佳正、稲葉菜月、尾身美詞、小野大輔、潘めぐみ、岩井七世、他

注・内容、台詞、原作に触れています。
この世界の片隅に

原作 : こうの史代
監督・脚本 : 片渕須直
出演(Voice Cast) : のん
細谷佳正、稲葉菜月
尾身美詞、小野大輔
潘めぐみ、牛山茂、新谷真弓
岩井七世
小山剛志、津田真澄、他

Konoseka1

Memo1
129分の上映時間。長いのかな?と思っていたら「エッ!?もう終わり」あっという間。
もう少しこの世界に浸っていたい。
本当に素晴らしすぎてなんだかボーっとしてしまった。
映画史に残る映画に出会うことは、そうざらには無い。
(もしかすると映画を見始めてからの40数年の中でも、数本あったか無かったかといったレベル)
終映あとの場内。
そんな瞬間に立ち会ったのではないのか!?、と、いった感慨が"この喩えようのない言語化不可能な鑑賞後すぐの気持ち"となって現れているのではないだろうか?とも思える空気。
これこそ"劇場で映画を見るということの魅力"の最大要素だと思います。
いろいろ驚いた事だらけなのだが、まず動き幅が小さくてジワーと動いていくすずさんたちのアニメイト部分。
公式ガイドブック、パンフレット共に片渕監督がインタビューでロングレンジとショートレンジの"仮現運動"について語っているところが面白い。
(あとは、その実験精神!)
google第2検索ワード候補として"傘"が出てくる!
割りと早い段階(←公開初日)から出ていたので初見ですぐに検索数が増えたのではと推測。

Konoseka_book

Memo2
パンフレットに"すずさんの生きた時代"として"世の中の動き"と"すずさんの日々"が対比して年表になっている。これがまたなんともなんとも細かくて「中野本町に海苔を届けに行く」とか「もんぺを縫う」とか。
すずさんのぼぉ〜っとしたところが現れた(ちょっと細かめの)好きなシーン。
呉の港に浮かぶ戦艦や巡洋艦の名前に詳しい晴美ちゃん(晴美さん←すずさんは"晴美さん"と呼ぶ)
指さしながら、すずさんに説明する。
「へぇー、ほいじゃあ、うちもお礼に」
「大きな雲じゃろう」
「うん」
「かなとこ雲、言うてね」
「うん」
「大雨になります」
「えっ!?」
(ちなみに原作だと、ほんの8コマのシーンだけれども、こういった細やかなところもアニメーション化しているところもスゴイ、そして何よりもリスペクトに溢れている)
音響監督も片渕須直監督。
(些細な音、微細な音から爆撃時の凄まじい音まで、その緩急つけられた隅々まで行き届いた音響も素晴らしい)
「その冬は雪が多うて春が待ち遠しかった」の(ナレーション)台詞に続く遠く響き渡る空襲警報のラッパの音!!
(この音響定位の見事さ)
鑑賞後すぐに、ふと思い浮かんだこと。
拓郎さんの全編広島弁の歌詞「唇をかみしめて」がよぎった。
人が生きとるネー
人がそこで生きとるネー
人がおるんヨネー
人がそこにおるんヨネー

Voice_konoseka

Memo3
本作は徐々に支援していく番組(媒体)などが増えていったことでも、まさにエポックメイキングな映画ともいえます。
そのうちのひとつ→上記、画像(テレビ撮り)MBS夕方のニュース『Voice』で放送された「楠公飯」レシピの特集。
実際に記者が炊いていくところから撮影。(確かに分量は増えているけれど、美味しくなさそう…。)
※MBSは「ちちんぷいぷい」でも『この世界の片隅に』を大きく時間を割いて取り上げていました。
『BRUTUS』No.837年末恒例の映画特集。
予告編による映画選び4パターンの1本として『この世界の片隅に』の記事
特筆すべきは、ヒロインを演じる「のん」の声。ナレーションではなく劇中からのセリフのからの引用だが、吸引力が半端でなく、本予告編のための録り下ろしに聞こえるほどの生々しさがある。(解説文より抜粋)
最後に。
(誰もが書いていますが)
そう!この、のんさんの声がまさに本作のひとつの肝となったとも言える"すずさん"そのものでした。

追記
片渕監督がtwitterで"いわゆるCG、一切使ってません。手描きと切り紙アニメばっかり"の発言に新年早々ビックリ!!

Konoseka2

劇場用長編アニメ「この世界の片隅に」公式サイト
http://konosekai.jp/

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2016-08-28

『ブルックリン(BROOKLYN)』ジョン・クローリー監督、シアーシャ・ローナン、エモリー・コーエン、ドーナル・グリーソン、他

ブルックリン
BROOKLYN

監督 : ジョン・クローリー
出演 : シアーシャ・ローナン
エモリー・コーエン
ドーナル・グリーソン、他

物語・アイルランドの町で暮らすエイリシュ(シアーシャ・ローナン)は、きれいで仕事もバリバリこなす姉ローズ(フィオナ・グラスコット)とは正反対だった。内気な妹の未来を心配するローズの考えもあり、エイリシュはニューヨークに渡ることを決意する。だが、田舎町での静かな生活とは全然違う暮らしが彼女を待ち受けていた。(物語項、シネマトゥデイより抜粋)

Brooklyn

Memo1
シアーシャ・ローナンは(実年齢からみてもキャリアからみても)本当によい役を得たなぁ、と思う。
最初は(それは出自によるものだと思うけれど)愛想も悪く人との接し方もままならず、上司からは注意をうけていたエイリッシュ、フラッド神父のこころづかい、教会でのボランティア、簿記の学校へ通い始め、イタリアから移民してきたトニーとの出会いなどを経て次第にニューヨークでの生活に馴染むようになる。
入国管理局のブルーグリーンのドア(コートの色もグリーン!)を開けた、その先が白い光につつまれていて、いかにも新天地での夢と希望がこれから始まるのだという雰囲気が素晴らしい。
またエイリッシュが故郷をあとにしてニューヨークへ渡る際、船の同室女性にアドバイスをうけた事と同じように、ラスト、再びニューヨークへ戻る船のデッキで不安そうにしている、これから移民しようとする女性に入国審査のアドバイスをする円環構造もすごくよい(グリーンのコートではじまりペールエメラルドグリーンのカーディガンで終わる色の円環も)
下宿先の寮母キーオ婦人の的確な毒づき(笑)
(そして、よく人を見ている)
アイルランドと1950年代ニューヨークでの色彩設計の違い。
そのメリハリの美しさ。
全体的に彩度を抑えたアイルランドの住宅街、逆にウォームトーンで華やかなニューヨーク。
『アバウトタイム』『エクス・マキナ』など出演作の役柄がいつも"どーなる、ドーナル・グリーソン"と誰もが語るとおり、本作でも"エッ!?エイリッシュに選ばれるの、選ばれないの" "どーなるの?"というジム役を演じている。
水着の着替え方。
トニーと初めてコニーアイランドへ出かけた際に洋服の下に最初から水着を着ていくことを知らずにビーチで着替えるエイリッシュ。
アイルランドに帰国して親友ナンシーやジムたちとも馴染みの海へ出かける。その時、ひとりだけさっと洋服を脱ぎ水着になるエイリッシュ。(←ちょっと鼻高々 笑)
わざわざ呼び出して(エイリッシュがニューヨークでイタリア移民と結婚したことを小耳に挟んだのよと鬼の首をとったかのように)嫌味な言葉を投げかける食料雑貨店のミス・ケリー。
「今思い出したわ」
「ここはこういう場所だったことを」
(すぐに決心してニューヨークへ帰ることを決意するエイリッシュ。
「一番、早い便は?」)
ラストが鮮やか。
(エイリッシュがもたれかかっている壁にほのかにライトをあてて、少しそこだけ明るく見えるようにしているのもよい)
もう戻ってこないかもと思っていたトニーがエイリッシュを見つけ、同僚に工具を渡し嬉しそうに駆け寄ってくる。
抱き合うふたり。

Memo2
パンフレットが『バードマン』『グランド・ブダペスト・ホテル』と同じFOXサーチライトマガジンとして編集されたもの。
(マガジンとしての後半別記事も『ブルックリン』に繋がるものが多々)
衣装デザイナーはオディール・ディックス=ミロー
発想を広げるために参考にしたという、ふたりの写真家。
Elliott Erwitt オフィシャルサイト(日本語)
http://www.elliotterwitt.com/lang/ja/index.html
Vivian Maier
こちらはヴィヴィアン・マイヤー・サイト
http://www.vivianmaier.com/
Film Locations - On the set of New York
(現時点ではコニーアイランドのみ)
サイトの特性からみて、今後アップデートされ追加ロケ地が記載されるものと思われます。
http://onthesetofnewyork.com/brooklyn.html
BBC - Brooklyn - Writers Room
Nick Hornby (adapted from the novel by Colm Toibin)
脚本(英文)がPDFで読めます。
http://www.bbc.co.uk/writersroom/scripts/brooklyn
Title Design > Matt Curtis
(↓タイトル部分の画像あり)
http://annyas.com/screenshots/updates/brooklyn-2015-john-crowley/
(それにしてもMatt Curtis、最近のイギリス制作作品には必ずと言っていいほど携わっている)

映画『ブルックリン』公式サイト
http://www.foxmovies-jp.com/brooklyn-movie/

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2016-07-30

『ふきげんな過去』前田司郎監督、小泉今日子、二階堂ふみ、高良健吾、板尾創路、他

注・内容、台詞に触れています。
ふきげんな過去

監督 : 前田司郎
出演 : 小泉今日子二階堂ふみ
高良健吾、板尾創路、他

物語・東京・北品川に位置する食堂で生活している女子高生・果子(二階堂ふみ)の前に、18年前に他界したはずの伯母・未来子(小泉今日子)が突然現れる。とある事件によって前科持ちとなった未来子は果子の実母だと告白し、そんな彼女の登場に周りの家族はうろたえる。自分の部屋に住み込む空気を読めない未来子に、イライラする果子だったが…(物語項、シネマトゥデイより抜粋)

Kako

Memo
全体的に彩度を下げてレンズフィルター、オレンジをかけたような色調は好み。
そして、それはまた北品川の運河を行き来する"ここではないどこか"の曖昧領域な人たちにピッタリのトーン。
さらには、これはいい風が通り抜けるのだろうなぁー、と、思えるエジプト風豆料理店の雰囲気や2階の果子の部屋、着ている衣装などから醸しだされる"夏の空気"映画でもあります。
twitterにも書いたけれど最初、ずっと『ふきげんな過去』のことを『ふざけんな過去』と思い込んでいた(あながち間違ってなさそうな気もしたけれど果子と過去をかけていることを考えると"ふざけんな"は無いよなぁー、などと)
母(実母ではない)サトエの友人、レイの娘カナちゃん(←『花子とアン』でヒロインの幼少期を演じていた山田望叶がめちゃくちゃ上手い!)と果子のやりとりにしばしば現れる"ふきげんな言動"
「面白さなんて期待するほうが間違いでだいたい同じことの繰り返しの中で感覚を麻痺させていくのよきっと」
「想像を超えることなんて起こらない、起ったとしても、すぐに対処できて、想像内の出来事に収まっていくの」
「だから、もともとつまらないものなの、世界は」
なんとペシミスティックな 笑
そして、いちいち反応するカナに対して受け答えしていて、どこか禅問答のようでもあり面白い。
二階堂ふみが小泉今日子に向かって言う台詞を借りるならば、遠くを見ながら"いいこと"言ってる映画。
そのシーンの台詞。
「みんな寂しいんじゃない?ひとりで居ても家族と居ても」
「(前略)〜欲望が人と人を結びつけるのよ。でもね、誰かと結びついたら、それはやっぱり孤独なのよ〜(後略)」
「欲望の行き着く先は結局孤独なの。それでも人は欲望するんだわ」
実際の母娘であるふたりの言動は(実のところ)よく似ていることがわかる。
やがて、果子は(爆弾を嬉々として作ったりしている)未来子に停滞したままの過去に絡み取られた現状から、まさに未来を垣間見るのだ。
それがラストの(噂だけで本当にいないと思われた)ワニが現れ、暴れ逃げ出すところを見ていて「これ、これ、これですよー」と言い出しそうなイキイキとした果子の表情に繋がる。
前田司郎監督、演劇的な間合いを感じるところもあるけれど台詞回しの妙として、これまた好みの領域。
(要はお気に入り色彩トーンの中でのあーだこーだ会話とかを絶妙のカメラポジションで撮ってくれることが嬉しいのだ)
パンフレット(オフィシャルブックとして書店売りも有り←こちらは帯が付いてる)デザインは大島依提亜/中山隼人
映画本編、ラストを華々しく(笑)飾るワニがモチーフの表紙。
(写真、インタビュー、対談など90ページ)
シナリオが掲載されているのは嬉しい。
(実際の脚本の最初に載っていたという年表も掲載←映画本編では多くを語られない登場人物たちを巡る"激動の歴史" 笑 が詳細に)
※文中敬称略

映画『ふきげんな過去』公式ホームページ
http://fukigen.jp/

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2016-07-29

『シン・ゴジラ』庵野秀明脚本・総監督、樋口真嗣監督・特技監督、長谷川博己、竹野内豊、石原さとみ、野村萬斎、他

注・内容に触れています。
シン・ゴジラ

脚本・総監督 : 庵野秀明
監督・特技監督 : 樋口真嗣
出演 : 長谷川博己
竹野内豊石原さとみ
野村萬斎、他

物語・東京湾アクアトンネルが崩落する事故が発生。首相官邸での緊急会議で内閣官房副長官・矢口蘭堂(長谷川博己)が、海中に潜む謎の生物が事故を起こした可能性を指摘する。その後、海上に巨大不明生物が出現。さらには鎌倉に上陸し、街を破壊しながら突進していく。政府の緊急対策本部は自衛隊に対し防衛出動命令を下し、“ゴジラ”と名付けられた巨大不明生物に立ち向かうが…(物語項、シネマトゥデイより抜粋)
※なお、こちらのブログメモは追記予定です。

God1

Memo1
まさに鷺巣詩郎音楽、テロップ、作戦別ブロック型スクリプトなど、エヴァレイヤーがかぶさった形で出現した、見たかった日本製怪獣映画の登場!
伊福部昭「ゴジラ」「キングコングVSゴジラ」「三大怪獣地球最大の決戦」「宇宙大戦争」「メカゴジラの逆襲」など多数使用されていて、それだけでテンション上がる!
"ぐずぐず政府"に対して首都圏に突如、怪獣が現れたら"どうする?"シミュレーションドラマとしても秀逸な本作。
さて、ここで問題です。
本編中、何回"この国は"という台詞が出てきたでしょう?(想定外も多かったけど最後まで出てきてたのが"この国は")
前半、やたらと会議、会議と何か起こるたびに会議は続く(わざわざ「では、大会議室に移動しましょう」には笑った…と、いうか笑えない、か…。←今、会議している部屋でいいでしょー。あと有識者を集めて意見聞いたも別部屋で)
市川実日子さん演じる環境省・尾頭課長補佐がよかった。
(この後、集められる「巨大不明生物特設災害対策本部」略して「巨対災」のメンバーにも←この各省庁内のはみ出し者、変わり者、オタクの集まりである「巨対災」が結果としてゴジラの活動を止めることとなるのが、また良いですね)
その尾頭課長補佐の(悠長なことを言ってる政府首脳陣の中で放つ)台詞。
肺魚のような脚があるとも推測できるので上陸の可能性もあるかと思います
秒速何ワードかを競うかのような早口台詞オンパレードの本作中にあってテキパキテキパキさで群を抜いて面白い。
「ここから退避します」の指示の出た時、他のメンバーがばたばたと書類や資料を集めてるメンバーの中で、ひとりノートパソコン小脇にさっと出ていこうとする姿。感情なんてあるの?と、思っていたら、見事ゴジラを血液凝固剤で活動凍結に追い込み終結した際に「よかったぁ」とひとこと安堵の声をもらして、こちらもほっとする。
破壊神としての姿はレジェゴジやエメリッヒゴジラなどをあっさり凌駕して、"うむ"も言わさない消滅のさせ方(壊し方ではなく、まさに消滅!見たかハリウッド!)
覚醒後の口、背部からの熱線の飛び散る乱舞ぶりは本当に2016年現在のゴジラだ!
(制御不能の巨神兵のシーンを想起)
自衛隊と米軍が合同で"仮想敵"を攻撃するシミュレーションドキュメンタリーのような(前述)"ヤシオリ作戦"
この順序立てた対ゴジラへの見せ方がクライマックスとして用意されている。
矢口と赤坂が熱核兵器の使用についての決定が下された後、遠くに動きの止まったゴジラを見ながら交わされた台詞のひとつ。
「戦後は続くよ、どこまでも」
公開日に情報開示されたモーションキャプチャーアクターを野村萬斎さんが務めたという情報。
エンドクレジットでメインアクターと同じ扱いで1名表記だったので「あれ??主要キャスト?って…ど、どこに出てたの?」と思っていたら、そうでしたか。
ラストカット。
全体にグロい造詣のゴジラにあって、さらに、あの尻尾の先の這い上がっていくような(背びれのあるような)ヒトの彫刻群が凄まじく怖い。
(彫刻協力で名前が出てる高野眞吾さん関連?)

Memo2
タイトルロゴデザイン(音響設計や宣伝ポスターも)は庵野秀明。
(東宝ロゴは現在のバージョンの前に以前のロゴもわざわざ使用。エンドクレジットの一番最後の「終」の文字も以前の「ゴジラ」のものを踏襲)

God_p

パンフレットが「ネタバレ注意」と封印されているとおり、初公開写真が多数。
(予告編や告知などで小出しに放送されているミニチュア使用のメイキング映像など、てっきりゴジラに壊されているシーンだと思っていたら、最初のちょっとパッと見では判らない、もしや別怪獣?と思わせられた第一形態ゴジラだったとは!見事なミスリードっぷりでした。その意味ではあの予告編もかなり外してつくりこんでいた気が…)
パンフレットの最後にはエンドクレジット表記が全て掲載されています。
公開に合わせてふたつの展覧会が。
鶴岡アートフォーラムと福岡市美術館。

God10_2

God10_1

シン・ゴジラ』追記版

Expo1

Expo2

8月10日に上映が終了する駆け込みでレーザーIMAX版を見た。
元がシネマスコープのためフルサイズではないが音圧と大きさとディティールの再現性(なんと!尾頭さんのうぶ毛まで見える←すみません。見えてしまったのはしようがない…と、いうか、これも輝度の差?)
※8月25日から9月9日まで追加上映決定
しかし、それにしても圧倒的な量の「シン・ゴジラ」関連記事やツイートや"まとめ"や、その他もろもろ。常盤橋プロジェクトのビルが既に建っているから始まってゴジラの生体を科学的に分析した記事、尾頭ヒロミをいろいろな漫画家タッチで描く、関西ゴジラあるあるのような大喜利ネタまで。全てをまとめたら書籍が出せそうな程。

カヨコ・パターソン語録

(↑これも各キャラクター別に既出されていると思うけれど、一応メモ)
「さすがはお祖母ちゃんの国、仕事が早い」
「ZARAはどこ?」
(↑エキスポシティ内にあるので鑑賞した何人かは「あ、そこにあるよ」と思ったかも 笑)
「ここからはパーソナルサービス」

↓最前列から見上げた状態

Imax1


映画『シン・ゴジラ』公式サイト
http://shin-godzilla.jp/

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2016-07-25

『クリーピー 偽りの隣人』黒沢清監督、西島秀俊、竹内結子、香川照之、東出昌大、川口春奈、藤野涼子、他

注・内容、台詞に触れています。
クリーピー 偽りの隣人

監督 : 黒沢清
出演 : 西島秀俊竹内結子
香川照之、東出昌大
川口春奈、藤野涼子、他

物語・刑事から犯罪心理学者に転身した高倉(西島秀俊)はある日、以前の同僚野上(東出昌大)から6年前の一家失踪事件の分析を頼まれる。だが、たった一人の生存者である長女の早紀(川口春奈)の記憶の糸をたぐっても、依然事件の真相は謎に包まれていた。一方、高倉が妻(竹内結子)と一緒に転居した先の隣人は、どこか捉えどころがなく…(物語項、シネマトゥデイより抜粋)

Creepy

Memo
『CURE』系の得体のしれない恐怖の連鎖。
(つかみどころのない"ぬるり"或いは"するり"とした人物たち)
キャッチコピーにも使われている「あの人、お父さんじゃありません。全然、知らない人です。」
この台詞は原作にも出てくるそうですが(未読)、何より以てしても怖いのは"家"や"場所"自体が怖い。
香川照之が嬉々として演じる隣人、西村。
だが実のところ、出てくる人たち全てがどこかおかしい。
冒頭、高倉が警察署内で起きた人質を盾に逃亡を図ろうとする犯人説得シーン(これがラストと繋がる)
高倉の妻、が初対面の人に手作りチョコレートを引っ越しの挨拶手土産として渡そうとする(返す隣家の西村がチョコレートと聞いて言う台詞「これって一個1000円とかする高いチョコレートですか?」)
元同僚の東出昌大も。
あの家の中が玄関から入って曲がると、すぐに"黒沢清的廃墟"廊下になるのが変にして怖い。(鉄の扉の付け方、さらにはレコーディングルームのような防音壁の部屋)
ここを通り抜けると、そこは足を踏み入れてはならない異界。
まるで魔界から降りてくるようなブルーバックスクリーンによる車の運転ショット(こういう感じ、リンチ監督『マルホランド・ドライブ』冒頭の"アレ"のようだ)
次の居つく先を見つけた西村。
「車の中で2、3日寝泊まりすることになるかな」
「まぁ僕たち4人、もう家族なんだから」
ちょっと飼っている犬が邪魔だなぁ、と自分では撃てないピストルを高倉に渡す。
「音、相当でかいよ」
完全に意識を刷り込まれていたと思いきや…。
「これがあんたの落とし穴だ」
「えっ」
撃たれ倒れる西村。
笑い転げる藤野涼子。
吐き捨てるように。
「ざまぁみろ」
70ページ大ボリュームのパンフレット。
批評(お馴染みの蓮實重彦氏も)や監督、キャストインタビュー、スタッフ証言、撮影記録、対談の他に黒沢清監督によるコメント付き"映画史に残るCREEPYな罪人たち・名作10選" →『M』『狩人の夜』『反撥』『ゾディアック』『10番街の殺人』『ホワット・ライズ・ビニース』など

映画『クリーピー 偽りの隣人』公式サイト
http://creepy.asmik-ace.co.jp/



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2016-06-09

"映画の生き死には宣伝次第よ" 淀川長治さんの映画広告

21世紀の淀川長治
(キネマ旬報社・刊)

Yodogawa1

「映画へとひとびとを誘う言葉」と思いが詰まった一冊。
「淀川長治自伝」の「終回」から幕を開ける本書。
(その冒頭部分を引用)
"チャップリンは亡くなったのに映画はある。ジョン・フォードは亡くなったのに映画はある。ヴィスコンティの映画もルノアールの映画も永遠であろう。映画は残る。これは小説も絵画も同じこと。この世に何かを残すということはどれほど偉大なことか。"
シャブロル、ブレッソンから『荒野の一ドル銀貨』成瀬・川島両監督による『夜の流れ』などなど淀川さん口調で声まで聞こえてきそうな映画批評や監督論の数々。きっちりと批判したものも採録されていて初めて読まれる方はドキリとするのでは?
(とはいえ、あるのは映画を愛する心。P60わが映画批評の立脚点を読めば、その指針もうかがうる)
巻末には『キネマ旬報』ベスト・テン他が表だけではなくコメントも(←これは嬉しい!)そのまま採録されています。
カラーページに"淀川長治がつくった広告"といったコーナーが。
ハサミコミと呼ばれるキネマ旬報本誌に綴じこまれた広告を淀川さん自身によるレタリング、レイアウトで作られた話が語られています。
(図版は「駅馬車」「デッドエンド」「牧童と貴婦人」「ゼンダ城の虜」)
※確かキネマ旬報には1970年代中頃までチラシ自体を挟みこんで発刊されていたと記憶する。
そこで思い出したのが今から27年前に広告批評で特集された、この号。

Yodogawa2

広告批評』1989年5月号
特集・淀川長治ワンマンショー
43ページにおよぶ大特集。
(本誌自体が130ページなのだから、これは本当に大特集でした)
聞き手に川本三郎さん、島森路子さんをむかえてのインタビューを軸に構成。
第1部・どうしておしゃべりになったか
第2部・こんなふうに生きてきた
第3部・私の美意識
そして<付録>と記された映画広告にもの申す。
こちらには図版として他の著書でも見た記憶があるユナイト宣伝部時代に作られた有名な『駅馬車』の雑誌広告が。
他にはキャストやスタッフなど何も入れず、ただひとこと「駅馬車来る!」
当時としては画期的な広告。

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Yodogawa4

淀川長治のひとこと広告批評
(前年に公開された作品の中から選ばれたもの)
それぞれにコメントがつけられている。
続くインタビューページ。
(多分、ここで初めて読んだ知らなかった話←島森さんも、はじめて聞いたと答えています)
"角川春樹さんに、僕、呼ばれたの。あの人が映画を始めるときに。「一体なんですか」って言ったら「映画を大事に売りたい、商売したい。どうしたらいいでしょうか」って質問された。「映画の生き死には広告です」って、僕、答えたの。「宣伝しない映画は、絶対に当たりません。映画の第一は宣伝です。あらゆる方法で、見せるなり聞かせるなり、どんどん自信を持っておやりなさい」。春樹さん、一生懸命聞いてたよ。で、宣伝に力を入れられたね。"
(映画の生き死には宣伝次第よ、より抜粋)
この後に、ちゃんと「で、広告負けしたの〜(中略)〜やりすぎちゃったの。」とピシャリと言い切るあたりにも、驚く。(さらには東和の話、セルズニックの話もかぶせているので、ただの苦言でないこともわかる)
※他にも初出だと思われる話がいくつも。どちらかの著書におさめられているのかは未確認です。

追記
『21世紀の淀川長治』読み進めていくと(と、いうか、すぐに数箇所)やたらと誤字が多いなぁと思っていたら下記、告知が記載されていました。
キネマ旬報ムック『キネマ旬報コレクション 21世紀の淀川長治』をご購入のお客様へ お詫びと商品交換のお知らせ
http://www.kinejun.com/book//tabid/95/Default.aspx?ItemId=588


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2016-06-07

『海よりもまだ深く』是枝裕和監督、阿部寛、樹木希林、真木よう子、吉澤太陽、小林聡美、池松壮亮、他

注・内容、台詞に触れています。
海よりもまだ深く

監督 : 是枝裕和
出演 : 阿部寛樹木希林
真木よう子吉澤太陽
小林聡美
池松壮亮
リリー・フランキー、他

物語・15年前に1度だけ文学賞を受賞したことのある良多(阿部寛)は「小説のための取材」と理由を付けて探偵事務所で働いている。良多は離婚した元妻の響子(真木よう子)への思いを捨てきれず、響子に新しく恋人ができたことにぼうぜんとしていた。良多、響子、息子の真悟(吉澤太陽)は、良多の母・淑子(樹木希林)の家に偶然集まったある日、台風の一夜を皆で過ごすことになり…(物語項、シネマトゥデイより抜粋)

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Memo1
脚本の1ページ目に書かれたという、この言葉がそのまま問いかけでもあり(しかし答えがあるわけではない)、監督のまなざしでもある。
「みんながなりたかった大人になれるわけじゃない」
かつて、夏休みにお祖父ちゃん、お祖母ちゃんのいる田舎へ帰るというと"今住んでいる場所より遠く離れた自然のある場所"をイメージしたものだが、それがいつの間にか"電車やバスに乗っていける場所"(さらに、それが団地)に変わっていったのはいつ頃のことだろう?
『海街diary』地上波放送された際に、ふと思ったこと。
CMが入って細切れになっているのだが、普通に流し見として成立すること。それも、おそらく途中から(CMとCMの間のシーンだけ)見たとしても、ちょっと見入ってしまう(入っていける)という不思議な感覚をもった。
もしかするとテレビドラマ『ゴーイング マイ ホーム』を撮った辺りから、意図的に何かそういったことをされているのかなぁ、と。
(刊行されたばかりの著書『映画を撮りながら考えたこと』の中で言及されているかは未確認)
キネ旬、川本三郎さんの連載「映画を見ればわかること」で『海よりもまだ深く』が成瀬巳喜男監督作品を想起させたことについて書かれていて、なるほどなぁ、と納得することしきり。
(川本さんの著書でも成瀬作品はとにかく情けない男とお金の話が出てくると書かれていたけれど、本作もまさに。
本作で重要な台風のシーン、『山の音』にも台風が出てきたことも(←こちらは前半、ろうそくのあかりのもと、すごく饒舌になる登場人物)
『公園対談 クリエイティブな仕事はどこにある?』(是枝 裕和、樋口 景一・著) の中にあったQ&amp;A. 是枝監督が仕事に対する心構えや姿勢について影響をうけた映画1〜3本→ケン・ローチ『ケス』侯孝賢『恋恋風塵』成瀬巳喜男『稲妻』
(そういえば『稲妻』から受ける雰囲気と本作、ちょっと似てるかも?)
テレビドラマ『ゴーイング マイ ホーム』(主人公の名前が『歩いても 歩いても』『海よりもまだ深く』と同じ良多。演じたのが福山雅治による『そして父になる』の主人公も同名)
本作が不在(亡くなっている)であることで存在が浮かび上がる(ラストで明かされる父親の隠された部分。硯のくだり)ことに対して、こちらは父親との話。
これ、今、再放送かけられたらいいのに。
『空気人形』のロケ地として最初、団地をさがしていた話が【東京人】(2009年11月号)に 〜 「僕は公団育ちなんです。40年ぐらいたつ公団なので、今では子供も少なく、お年寄りの一人暮らしが多くなっている。子供の頃に遊んだ芝生は立ち入り禁止だし、夜もまばらにしか灯りがつかない。集合住宅なのにみんなバラバラに住んでいます」
(この部分、後述良多の台詞に)
台詞いろいろ。
(特に冒頭あたりの、何気ない会話シーンを確認したくて2回目鑑賞の際、最後列1番端の席で迷惑にならないようにメモした)
・開巻すぐ
良多の姉・千奈津(小林聡美)と母・淑子の会話。
「宛名ぐらい自分で書きなさいよ」
「手がね、ほら」
(手をぶらぶらさせる)
「やめなさいよ、ドリフじゃないんだから」
「父さん。字だけはうまかったわね」
「大器晩成ってやつじゃない」
「うちにも一人いるけど」
「ま、大きいことは大きいけどね」
・良多と母、淑子との会話。
ベランダから階下を見ている良多
「静かだなぁ」
「もう遊ぶ子どももいないから」
「俺らの子供の頃は野球するのでも芝生の奪い合いだったけどね」
・「あんた覚えてる、みかん」
「俺が高校の時、種、植たやつだろ」
「花も身もつかないんだけどね。あんただと思って毎日水やってんだよ」
(この、なんともいいようのない言い回しの上手さ)
「なんかの役にはたってんだよ」
・妹について良多の台詞
(でも、その実、妹にも借金をしにいっていたりする)
「気をつけたほうがいいよ、あいつ何考えてんだかわからないんだから」
「かじるスネなんて残ってませんよ」
・川本三郎さんが(前述キネ旬の前号)『歩いても歩いても』にも出てきた蝶々の件(くだり)についても書かれていて、そのシーンの台詞。
「この道歩いてると蝶々がね、あとをつけてくるのよ」
「お父さんかと思った」
「まだ迎えにこないでくださいよね」
・(あー、まだまだたくさんのセリフたち。きりがないのでこれぐらいで。時々、追記して、ずらりと並べるかも)
興信所、所長(リリー・フランキー)が、ポツリと言う台詞
「時代に感謝しないとなぁ、ちっちゃい時代に」
歌謡曲の歌詞から連想されたというタイトル。
いしだあゆみ「ブルーライトヨコハマ」→『歩いても歩いても』
テレサ・テン「別れの予感」→『海よりもまだ深く』

Memo2
いつも印象的に残る食事シーン。
フードスタイリストは飯島奈美さん。
前作『海街diary』がしらすカレー
本作はカレーうどん(母・淑子による隠し味手法も披露!)

Koreeda
広告美術は葛西薫さん。
ちなみに「幻の光」から「花よりもなほ」「歩いても歩いても」は葛西さんによるアートディレクション「そして、父になる」は服部一成さん「空気人形」「海街diary」は森本千絵さんによるもの。

映画『海よりもまだ深く』公式サイト
http://gaga.ne.jp/umiyorimo/



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2016-05-12

『64 -ロクヨン- 前編』瀬々敬久監督、佐藤浩市、永瀬正敏、綾野剛、瑛太、仲村トオル、三浦友和、他

注・内容、犯人(後編部分含む)に触れています。
64 -ロクヨン- 前編

監督 : 瀬々敬久
出演 : 佐藤浩市
綾野剛、榮倉奈々、瑛太、夏川結衣
窪田正孝、坂口健太郎、筒井道隆
鶴田真由、赤井英和、菅田俊
烏丸せつこ、小澤征悦、椎名桔平
滝藤賢一、奥田瑛二
仲村トオル、吉岡秀隆
永瀬正敏、三浦友和、緒形直人、他

物語・わずか7日で終わった昭和64年。その年に起きた少女誘拐殺人事件、“ロクヨン”から14年が経過し未解決のまま時効が近づいていた。そのロクヨンの捜査に携っていた警務部秘書課広報室の広報官・三上義信(佐藤浩市)は記者クラブとの不和、刑事部と警務部のあつれきの中、娘の家出にも心を痛めていた。そんな中、ロクヨンを模倣したような誘拐事件が起こる…。

64

Memo1
ファーストカットから乗れた。
メインタイトルが出るまでで昭和64年の事件の件(くだり)が描かれる。
スコープサイズの左右にできる余白隅々まで緊迫感みなぎる佐藤浩市のクローズアップ。
特に前編締めくくり、クライマックスとなる9分間の長回しシーン。
まさに、ひとりで多人数を受け止める芝居の真骨頂。
人が横に移動するとカメラも横に移動して、止まるとフイックス、編集で切り返し(奥から手前に移動してくる場合も動きに応じて手前へと移動する)。そして記者クラブでの広報室との対立はハンディでと、場面に応じた芝居重視の絵作りが素晴らしい。
しかも、ドローンを使った追尾空撮など最新の手法も取り入れた冒頭、身代金を持って移動する雨宮のあとを追う警察車両のカットなども効果的。
(あ、あと、夜の琴平橋で身代金を川に投げ入れる雨宮をとらえたロングショットもよかったなぁ)
↑本作から受けた印象として、ふと、昔、黒澤明監督を囲んでのティーチインで伺ったカメラの動きと役者についての話を思い出した。
原作、TVドラマ版(大森寿美男脚本/ピエール瀧)と既に結末についてはわかった上で鑑賞。
2部作として割る場合、これは正攻法にして上手い前後編手法。
(「ちはやふる」の2部作は、また違ったアプローチで成功していたと思う。まあ「ちはやふる」の場合は連載継続中ということで「ハリポタ」的シリーズ化も可能な上での2部作プラス続編の形になった感もある。「64」の場合は休憩をはさんで一挙4時間公開という手法もあったかもしれない。しかし前編で三上が「亡くなった人を持つ家族の思い」や「その人にも暮らしがあったのだ」ということを訴えかけるシーンは作品ひとつとしてのまとまりを持っており「ロクヨン」と続いて後編で描かれる「ロクヨン」模倣事件、結末へのブリッジとして、この上ない描写となっている)
犯人(少しややこしい表現とネタバレとなりますが→後編で描かれる平成14年に起こる「ロクヨン」誘拐事件の模倣の犯人)についてのヒントが実はさりげなく、いくつものシーンに(三上が雨宮宅を訪ねていった際に仏壇の前に置かれた電話帳をさっと避ける場合、その雨宮の指のアップ、ボサボサだった髪型が整えられた時期など)。それをふまえての後編(チラッと写る緒形直人)が実に楽しみ。

※Memo2
本の話Web
小説の流儀、映画の作法 横山秀夫(原作者)×瀬々敬久(映画監督)】
改稿22回(!)の脚本のこと、小説とは違うラストに言及した興味深い対談。
http://hon.bunshun.jp/articles/-/4761
昭和パートの後、スコープサイズの右上に手描きによるメインタイトルが出る。タイトルデザインは赤松陽構造(パンフレット表紙・本文・ノンブルも)
本編に後編予告編がつくようにパンフレットにも内容告知(原作者インタビューやキャストによる「結末」の封印を解くなど)の予告が!(もしかして、初?)
さらに表3モノクロ、電話ボックスの写真にかぶさる(見切れている)「全て14年前のままだ。」の文字。
パンフレットデザインは大島依提亜/中山隼人
本文40P。新聞仕様の縦組本文。後編へのネタバレ配慮が登場人物相関図はじめ随所に。
(文中敬称略)

映画『64‐ロクヨン‐前編/後編』公式サイト
http://64-movie.jp/

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2015-11-06

『岸辺の旅』黒沢清監督、浅野忠信、深津絵里、小松方正、蒼井優、他

岸辺の旅
原作 : 湯本香樹実
監督 : 黒沢清
出演 : 浅野忠信、深津絵里、
小松方正、蒼井優、他

物語・3年間行方不明となっていた夫の優介(浅野忠信)がある日ふいに帰ってきて、妻の瑞希(深津絵里)を旅に誘う。それは優介が失踪してから帰宅するまでに関わってきた人々を訪ねる旅で、空白の3年間をたどるように旅を続けるうちに、瑞希は彼への深い愛を再確認していく。やがて優介が突然姿を現した理由、そして彼が瑞希に伝えたかったことが明らかになり…。(物語項、シネマトゥデイより抜粋)

Kishibe1

Memo1
オレンジ色のコート。
すっと画面端に現れる優介(浅野忠信)
「俺、死んだんだよ」
すかさず瑞希が言う。
驚くこともなく、さも当然のように。
「靴」
(この最初に映った優介の足が暗くてなにもないように見えている)
ふと思い出したように白玉の材料を買ってきて、ちゃちゃっと作り上げる瑞希。(この手際よい料理シーンがものすごくよかったなぁ)
監督自ら語っているとおりメロ+ドラマ(それもダグラス・サーク監督作品のような趣きで)として高らかに"鳴る"音楽。
それとは相反する虫の声、風の音、かさかさと鳴る木の葉、子どもの声…。
生者である蒼井優(生前、優介と関係があった女性、朋子役)が最も恐いという病院でのシーン。
(まさに女優ふたりの火花が散る場面でもあります)
「お茶でいいですか」
机に向い合って座る。それぞれ正面から捉えたショット。
そして、この台詞。
「こんな人だったんだ」
直接的に関係あるわけではないけれど横尾忠則さんの『彼岸に往ける者よ』(1978年刊/後に『地球の果てまで連れてって』に改題)というタイトルを思いだした。横尾さんの本は近著『言葉を離れる』もそうだけれど彼岸と此岸を往来するかのような浮遊感に震えをおぼえる。本作も映っているものは生者と死者、或いは死者と死者。島影(小松方正)をおぶって介抱する雄介(浅野忠信)の姿、それはどちらもこの世の人間ではない者を我々は見ていたのだということを、あとでよくよく考えると本当に震えを抑えずにはいられない。
島影の投げ捨てるように言う台詞も怖かった。
それは優介が瑞希のことを行方不明になった島影の奥さんに似ていると言っていたことに対しての反応の台詞。
「がっかりですよ」
優介が瑞希のもとに辿りつくまでの3年の道程を逆に戻って行く旅。それは「さようなら」を告げる旅であると同時に生者が死者を死者が生者を思いつなげ留めているものからの決別の旅でもある。
「うちへ帰ろう」「このまま、この町で暮らせたらいいのに」思いをぶつけてきた先のラストたどり着いた海辺の岸での瑞希。「やれることはなんでもやってみようと思って」と書き上げたお札を燃やす際の優介の台詞。
「お札、案外、効果あったのかもな…」
そして、すっといなくなる(消える)優介。
最後は「さようなら」ではなく「また会おうね」で締めくくられている。

Memo2
文學界11月号・黒沢清×蓮實重彦『岸辺の旅』をめぐってより抜粋→抱き合ってキスしたりしているところは「ウディ・アレンの『それでも恋するバルセロナ』のスカーレット・ヨハンソンとハビエル・バルデムのように」と言って見てもらって、あとはカメラ回しますから、お願いします。どうぞ」と。
前作『リアル』に続いてスコープサイズ。
本格的にやったのは今回が初。
同上文學界対談より抜粋 >「日本ではシネスコ用のアナモフィックレンズの数が少なくてシーンによっては普通に撮ったものの上下を切っているんです。」
(次回作『銀板の女』は全てのカットをシネスコ用アナモフィックレンズで撮影)
『PICT UP』2015年10月号・黒沢清監督インタビュー "旅映画は?"という質問に対して最終的に出した答え 「僕の1番の旅映画は『宇宙戦争』です」
パンフレットデザインは大島依提亜さん。
重なりあう表紙は優介と瑞希のようでもあり、祝儀と不祝儀の間の水引無し袋のようでもあり美しい。
(その、ちょうど真裏が彼岸と此岸を繋ぐ滝のシーンが配されている)

Kishibe2

映画『岸辺の旅』公式サイト
http://kishibenotabi.com/top.html




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