2017-02-12

"黄色のテレキャスター"『吉田拓郎 LIVE 2016』DVD&Blue Ray

吉田拓郎 LIVE 2016
DVD&Blue Ray
収録日 : 2016年10月27日
パシフィコ横浜

Live2016

Memo
昨年の首都圏ライヴ、最終日パシフィコ横浜でのライヴをディスク化。
驚いたのは「NHK SONGS」で流れたライヴ映像とは完全に別もののアングル、カット割り、ミックスダウンと、さすがに仕上げてきたなぁー、ということ。
構成が今まで発売されてきたディスクと違って合間合間にリハーサル映像が挟み込まれるスタイル。
『春だったね』コーラス振り付けダンス(井上順さんがこんなポーズやってたような 笑)を拓郎さんも少し合わせる姿も入ってた!
初日、市川公演のみで演奏された「ぼくのあたらしい歌」がMusic Videoとして収録(前半、メイキング付き。ブックレットを見るとスペシャルカメラマン加藤いづみさんのクレジットが)
本当にベストなライヴパフォーマンス。
40年以上見てきた拓郎さんのライヴ中でもベスト5に入る!!!(←では、その他の4本はどれ?ってことになりますが、それはまた別の機会に)
緻密でありながらゆとりのある、そして何よりも拓郎含めバンド全員が楽しみながらライヴを行っていることがひしひしと伝わってくる。
出来れば(最近の2年間隔ではなく)早く、このバンドメンバーでライヴが見たいなぁ。
収録してほしかった『流星』拓郎さんの"一瞬のアクション"(ピタっとあわなかったキメのワンフレーズ部分に対しての"惜しい!"みたいな動作)がロングショットながら入ってた!

当ブログ内・関連記事
"吉田拓郎・1976年『明日に向かって走れ』ツアーのチラシ、2016年首都圏ツアーのことなど"
http://color-of-cinema.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/1976-757d.html

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2016-12-29

吉田拓郎・1976年『明日に向かって走れ』ツアーのチラシ、2016年首都圏ツアーのことなど。

吉田拓郎リサイタル
1976年『明日に向かって走れ』ツアーのチラシ

1976_2016

Memo
1975年日本初のオールナイトコンサート、つま恋の翌年のツアーということもあってか、通常のチケット発売(まだ"チケットぴあ"など無く、全てPGへの配券や現金書留によるイベンター直接販売の時代)では、対応しきれないとの判断からか往復はがきによる抽選申し込み(実際、どれほどの申し込みがあったのか集計数は不明)
こちらのチラシは関西エリアにおける募集要項。
主催名義は音楽舎
※チケット代は2000円
※画像のチラシの電話番号末尾部分は消去しています。
(クリックすると拡大画像になります)
この1976年ツアー、オープニングが「春だったね」アンコールに「悲しいのは」というセットリストは奇しくも今年(2016年)の首都圏ツアーと同じ(これは偶然?もしくは意図的なのかは未確認)。
それにしても今年のライヴ。
バンドとしての完成度、何よりも音楽を楽しむという(それは拓郎さんもバンドのメンバーも、そして観客も含めて)なんという"多幸感にあふれた場"だったのだろう、と今思い出しても幸せな気分になる。
(「あー、音楽はいいなぁーっという気分)
NHKで放送された「SONGS」で拓郎さんも言っていた緻密なリハーサル。
それは2014年の「春だったね」と2016年の「春だったね」を聴いただけでハッとさせられる。
今回はイントロ部分にアルバム「元気です」での印象的なハモンドのフレーズが「LIVE'73」でのお馴染みのギターフレーズと被さってアレンジされた、なんともお得なグルーヴにニコニコしてしまった(バンドメンバーもニコニコしている)
アンコールでの拓郎さんによる『Woo Baby』のイントロギターリフもめちゃくちゃかっこ良かった!

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2015-08-19

1975年『吉田拓郎・かぐや姫 コンサート in つま恋』から40年

今から40年前。
1975年8月2日。
静岡県掛川市・つま恋多目的広場。
日本の音楽史上初となる5万人野外オールナイトコンサート『吉田拓郎・かぐや姫 コンサート in つま恋』が開かれた。

19750802

Tsu06_2

Memo
1975年開催時の写真を見ると現在のつま恋は内周道路(通路)の内側が使用されていて、その周囲を樹々が取り囲んでいる。
2点目の写真・2010年撮影の、この道路が内周部分。ひと回り小さくなっていることがわかる。(←とは言っても巨大な広場ですが)
それだけ、当時前例のない巨大イベントが全くの手探りで行われたことに驚かされる。(野外イベントとしては中津川フォークジャンボリーやピンク・フロイドが出演した箱根アフロディーテなどが開催されていた)
開演時間が12時間コンサートの意味合いもあって17時と早い。映像を見ると明るいし日差しもきつく暑いのがよくわかる。
(同じオールナイトイベント1979年の篠島コンサートでは19時開演へ)
つま恋のホームページによると観客数は6万5千人が一応、公式なアナウンス。
【音楽イベント コンサートの歴史】
http://www.tsumagoi.net/play/music/history.php
(ここに記載された年表、最近の3年連続開かれているアミューズによるイベントBBQからエキシビジョカホールで開かれたものまで掲載されています。ポプコンも!)
同年、秋にかけてフィルムコンサートが各地で開かれた(翌年にも)。
手元にあるチラシでは大阪・フェスティバルホールで11月8日に昼・夜2回上映されている(前売り800円・当日1200円)
(BSもCSもネットもない時代のフィルムコンサート、今だとライブストリーミングの形式で劇場上映となるのかな?)
その後、拓郎さんによる"つま恋"イベントは1985年2006年と2回開かれている。(その他1981年体育館ツアー公開リハーサルやツアー内に組み込まれた形でのエキシビションホールコンサートもあり)



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2015-06-24

松本隆 作詞活動四十五周年トリビュート『風街であひませう』"背中合わせのランデブー" 吉田拓郎 - 松本隆 - 太田裕美

松本隆さんの作詞活動四十五周年トリビュート盤『風街であひませう』がリリースされました。(文中敬称略)

1975年頃~1980年にかけては自分にとって、まさに吉田拓郎 - 松本隆 - 太田裕美を"見て、聴いて、追っかけて"度合いが濃密な時期だったので、今回の限定盤ディスク2「風街をよむ」での太田裕美による「外は白い雪の夜」朗読は「おぉっ!これは、あの"背中合わせのランデブー"(※)の変奏的再現ではないかぁ!」とちょっと小躍りしてしまった。
※『背中合わせのランデブー』A面吉田拓郎作曲、B面太田裕美による作詞作曲。

Kazemachi

Memo1
「外は白い雪の夜」を初めて聴いたのは当時、吉田拓郎がパーソナリティだった「セイ!ヤング」(文化放送・金曜日深夜オンエア)で『ローリング30』レコーディング中、箱根ロックウェルスタジオからの生中継(1978年8月)
そこから実際に生での演奏や出来上がったばかりのピカピカのマスターテープなどがオンエアされた。
「これはレコーディングメンバー全員が大絶賛したという曲を今からやります」「えー、タイトルは"そして誰もいなくなった"というのですが」まだ曲名が「外は白い雪の夜」ではなかった。
ちなみに他にも生演奏で「旅立てジャック」「人間なんて」(「ちょっと、あれ、あれやってみようか」と少しだけ演奏)
箱根から特急便で文化放送に送っていた3曲から「君が欲しいよ」「虹の魚
ハートブレイクマンション」(「日当り良好(ひあたりりょうこう)」の部分をふり仮名間違いで「ひでりりょうこう」と歌っている間違いバージョン)が流された。
箱根ロックウェルスタジオは当時としては画期的なリゾート型レコーディング&リハーサルスタジオとして人気の高かった場所。フォーライフレコードの4人(吉田拓郎・井上陽水・泉谷しげる・小室等)による「クリスマス」アルバムもここでレコーディングされた)。
そして、不思議なめぐり合わせというか、このロックウェルスタジオは、その後原田真二が「Modern Vision」と名前を変えてオーナーとなった時期があった(今、どうなのでしょう?←すみません未確認)
そして、さらには、その原田真二デビュー作「てぃーんずぶるーす」(松本隆作詞、原田真二作曲)も箱根ロックウェルスタジオでレコーディング(確かアルバムもだったと記憶)

Memo2
前述『背中合わせのランデブー』に収録されている「失恋魔術師」はシングルとは別アレンジで、これが続く「花吹雪」「」(この3曲が松本隆作詞)への流れにピッタリ。この3曲、拓郎節と言われる独特の譜割りとコード進行全開で名曲だと思う。
限定盤ディスク2「風街でよむ」ディレクターの是枝裕和監督、ブックレット掲載のコメントで知りましたが太田裕美さんのファンだったのですねー( ´ ▽ ` ) ちょっと嬉しい。初めて買ったレコードが中学1年の時の「木綿のハンカチーフ
ブックレットが130ページ。これだけで独立した書籍の趣き。
(もちろん本文縦組み)
風街でうたう、集う、よむ、撮る、創る、語る、思う。
それぞれに応じた内容で綴られる、アルバムや購入者特典の限定公開是枝裕和監督ディレクターズカット「風街でよむ」など全体通して、これ以上ないのではないかと思える至極の仕上がり。

風街であひませう
http://www.jvcmusic.co.jp/kazemachi45/


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2014-06-18

吉田拓郎さんのNewアルバム『AGAIN』

6月18日吉田拓郎さんのNewアルバム『AGAIN』がリリースされました。

Again_b

セルフカバーアルバムだけれども自身で過去歌っていない高木ブーさんへの楽曲提供曲「僕の大好きな場所」(作詞・篠原ともえ)と新曲「アゲイン(未完)」が含まれている。
「アゲイン(未完)」は拓郎さんの(突然消えるかもしれない文章と画像のブログ)「拓つぶ」によるとコンサートで完成ということに。(←もしかしてライヴ収録あり?)
※その同じ「拓つぶ」2/11の時点では「これ入れるかなー悩む」と語っていた「ワシらのフォーク村」も無事収録されていて思わず頬が緩む( ´ ▽ ` )
(そして、秘密のコーラスって…。)
歌詞カードにそれぞれの曲と対になるようなコメント、というか短文集。
どれがどの曲にということを考えて読むと、いろいろしみじみ。
前述「アゲイン(未完)」と対の短文は問いかけでもありモノローグでもあるという本アルバムと共振しあう"ことば"
短編小説のような「アキラ」(年齢的には違うけれど映画「スタンド・バイ・ミー」的だったり"おちんちん"フレーズで、ふと冨樫森監督「ごめん」を想起したり)
オリジナルバージョンもよいけれど、今回のもよいなぁ。
ついつい聴き入ってしまうストーリー。
レゲエを取り入れた曲として初披露時から人気の高い「いつか夜の雨が
徐々にギターカッティングリズムによるレゲエ打ちではなくなってきていたが今回は更に。
レゲエに関しては過去にこんなブログ記事も→『ボブ・マーリー/ルーツ・オブ・レジェンド』を見て思い出す1979年、そして吉田拓郎「アジアの片隅で
http://color-of-cinema.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-9e29.html
個人的には思い入れのあるアルバム「Rolling30」(1978年)から3曲。
・裏街のマリア

・素敵なのは夜
ライヴでは1979年「アイランドコンサート in 篠島」で歌っただけと思われる「裏街のマリア」がセルフカバーされているだけで"ご飯200杯もの"なほど嬉しい( ´ ▽ ` )ノ
素敵なのは夜』は当時のLP形態では2LP+シングル1といった形でリリースされたなかのシングルに入っていた楽曲。
これも白石ありすさんの独特の詩の世界をベースラインが♪だんだんだんと降りていくアンニュイな雰囲気アレンジがオリジナル、今回のセルフカバー共に好きな曲だ。

この写真は前述「アイランドコンサート in 篠島」で臨時停船場近くの堤防に立てられた看板(製作途中)の写真(古い写真をスキャニングして加工)

Shinojima_2

今回のアルバム未収録となった「僕の唄はサヨナラだけ」ダウンロードカード・プレゼントキャンペーンで何回となく本作を聴いて発見したのはラジオから流れる音とCDをスピーカーで鳴らす音とiPhoneなどをheadphoneで聴く音が違う(感じ方が違う)ことをあらためて発見した次第。
アゲイン(未完)」はスピーカーとheadphone、両方で聴いてみると特に!

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2013-11-15

出演・武田鉄矢、吉田拓郎、夏目雅子『幕末青春グラフィティ 坂本竜馬(坂本龍馬)・1982年TV版』音楽が全編ビートルズ(The Beatles)

1982年11月16日放送
TVドラマ『幕末青春グラフィティ 坂本竜馬(坂本龍馬)』
坂本竜馬(坂本龍馬)を武田鉄矢。長州藩の面々を演じたのは吉田拓郎の高杉晋作(カーリーヘア!)をはじめ小室等井上陽水(当時のフォーライフレコード所属アーティストによる布陣)。山内容堂をビートたけしが演じていてラスト近くに武市半平太(柴俊夫)を罵倒する強烈なシーンがある。
お竜さんを夏目雅子。「うちもお店飛び出してきたから脱藩浪人や」。土佐からの手紙に感傷的になっている龍馬との出会い。(映画版のお竜さんは原田美枝子)
音楽は全編ビートルズ(The Beatles)※「イマジン」のみJohn Lennon。アートディレクター・妹尾河童
ドラマ冒頭の竜馬暗殺シーン(暗殺者を沢田研二)ではイマジンが。全体を通して後のNHK大河『龍馬伝』へ繋がる命脈多し。

Ryoma

時間軸では続編にあたる映画『幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬』とTV版『坂本竜馬』は繋がってるようで実は繋がっていない。

TV版ラスト
武市切腹の知らせを聞いて龍馬の、この台詞で終わる。
「武市よぉ、悔しゅうて悔しゅうて、まだその辺をさまよおぅちぅか。人が人の夢潰してなんじゃ、この国は!待っとけよ容堂。高杉を呼んでこい!西郷を呼んでこい!坂本竜馬が話がある!」
そしてエンドタイトル

本編使用楽曲が全編ビートルズという理由からか長く再放送、パッケージソフト化されなかったがスカパー「日テレプラス」で2011年6月に30年ぶりの放送があった(画質的にはビデオ素材のためSD画質)
パッケージソフト、デジタル配信など未だ未発売。

使用楽曲一覧
Imagine
Love Me Do
Eight Days A Week
I Want To Hold Your Hand
Hey Jude
While My Guitar Gently Weeps
A Hard Day's Night
Yesterday
Ob-La-Di Ob-La-Da
Girl
Let It Be
Help!
All You Need Is Love
Hello Goodbye
Day Tripper
Imagine


こちらは映画『幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬』公開時のチラシ
(しかし拓郎さんの頭の切抜きが…)

Ronin1

Ronin2

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2013-06-09

「また、木下惠介の映画が観たいです」原恵一 監督『はじまりのみち』加瀬亮、田中裕子、ユースケ・サンタマリア

注・内容、台詞に触れています。
「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲」「河童のクゥと夏休み」「カラフル」の原恵一 監督、初の実写作品『はじまりのみち』木下惠介生誕100年記念映画。

物語・戦時中、監督作『陸軍』が戦意高揚映画でないと軍部からマークされてしまった木下恵介(加瀬亮)は、次回作の製作が中止となってしまう。そんな状況にうんざりした彼は松竹に辞表を出し、脳溢血で倒れた母たま(田中裕子)が治療を行っている浜松へと向かう。戦況はますます悪化し山間地へと疎開すると決めた恵介は、体の不自由な母をリヤカーに乗せ兄(ユースケ・サンタマリア)と荷物運びの便利屋(濱田岳)と共に17時間に及ぶ山越えをする(Blueglay部分シネマトゥデイより抜粋)。

Hajimari

Memo1
なんと真摯な姿勢なんだろう。かねてから木下監督作品の信奉者と語られていたとおり底辺に流れるリスペクト愛に溢れた美しい映画だ。さりげなく織り交ぜられている木下作品の数々。川原で見かけた対岸にいる先生(宮崎あおい)と生徒(無邪気に軍歌を歌っている)、それを手でフレームをつくって見つめる木下監督 >「二十四の瞳」険しい山道を母を連れて登る > 「楢山節考」便利屋が語るカレーライス(衣装は偶然だったそうです) > 「破れ太鼓」などなど…
そして、この構成の妙(こちらも原監督がインタビューで語っていた木下監督のアヴァンギャルドさもあってだと思う)。どうしても自作ドラマ部分に「陸軍」を挿入することによって起こるであろうと予想されたであろう"比較された批評"も恐れず、これを成し得たことに驚いた(そして感動した)
しかし、これをテレビで見てしまうと(最近よく目にする)「ドキュメンタリー+ドラマ」で構成されたものと同じ体感になってしまうかも。かつて多くの日本人が体験してきた「木下惠介監督」作品を(デジタル上映とはいえ)劇場のスクリーンと向かい合えることも本作の根幹たるものだと思います。(実際リアルタイムで「新作」として見てきたわけではないので当時の人気たる状態は知らないわけですが…)最後の名場面シーンには震えました。是非、劇場で!
96分の作品中、名場面シーンと「陸軍」のラストシーンとでかなりの時間が割かれているにもかかわらず本編ドラマ部分の芳醇なこと(いいシーンがいっぱい)。
兄とのさり気ないやりとり(ユースケ・サンタマリアが上手いのは意外)。病人がいると判ると断られ続けた宿探しの中、唯一、泊めてくれた「澤田屋」(エンドクレジットで現在の場面も)での母の顔を拭き、櫛で髪を整えてあげるシーンの神々しさ。
濱田岳演じるカレーライスの便利屋は全編通じて、本当に上手い。(最後の最後まで映画監督とわからず接しているので可笑しみが増す)
本編、白眉の場面
川原にいる木下監督に近づいて。
「映画館にお勤めだったら、あの映画見ました?」
「陸軍」
「泣いたなぁ」
「俺のおっかさんも、ああいう風に泣いてくれるかなぁ」
それを聞いて、すかさず
「自分の息子に立派に死んでこいなんて言う母親はいない」
どぎまぎして辺りを見回す便利屋。
「よさまいか、誰かに聞かれたらどうする」
「まあ、でもそういうことが言いたかったんだろうな」
また、ああいう映画が見たいなぁ
無事、疎開先の勝坂・鈴木家まで母を運び終えて庭で薪を切っていると母たまが木下監督を手招きして呼ぶ。
そして、木下惠介に宛てた手紙。
「ここにはみんなが居ますから、あなたは安心して撮影所に戻りなさい」と。
最後はこう結ばれている。
また、木下惠介の映画が観たいです
便利屋と母の声に後押しされるように颯爽と映画に向かう。(トンネルの暗闇の向こうは映画館の暗闇の中だ)
そして戦後、名場面シーンが流れる。最初は「こんな映画が撮りたいんだ」と語っていた「わが恋せし乙女」(牧歌的ミュージカルから馬車に乗る二人のシーン)よりスタート!
名シーン最後は1986年に制作された「新・喜びも悲しみも幾歳月」で締めくくられる。
見送る大原麗子さんの台詞
戦争にいく船でなくてよかった
追加シーン
「たまさんは家の中で天井ばかり見てるんだから、たまには空だってみたいよね」という思いで(唯一、原監督自らの意思で)絵コンテを描かれ追加となったシーン。日傘をずらして、青空が見える。つーっと流れる涙。

Memo2
録画していた「徹子の部屋」加瀬亮さんの回を見ていたら木下惠介監督が過去に出演した際(1982年)のVTRが流れて、リヤカーに乗せて母親を疎開させた実際の話を語られていた。
そして「こんな歳になっても、幽霊でもいいから、また会いたい…」と。
パンフレットに掲載されている長部日出雄さんのコラム"「はじまりのみち」の原風景"を読むと、母・たまが如何に映画監督になるための後押しをいろいろとしてきたかが解り、このインタビューでの監督の言葉と「また、木下惠介の映画が観たいです」という母の想いの根底が伺えた。
吉田拓郎浅田美代子共演で話題になった山田太一(木下惠介監督に師事)脚本のTBSドラマ「なつかしき海の歌(1975年)」って(内容的には全く関係ないですが) 木下監督「なつかしき笛や太鼓」のタイトルとダブってるなぁ、と思ったことを、ふと思い出した。さらに全くの偶然だと思うけど(木下惠介生誕100年記念映画「はじまりのみち」の)原恵一監督「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲」挿入曲が拓郎さんの「今日までそして明日から」

原恵一監督最新作『はじまりのみち』
www.shochiku.co.jp/kinoshita/hajimarinomichi/



「はじまりのみち」に登場する木下惠介監督作品
「わが恋せし乙女」「新・喜びも悲しみも幾歳月」は未単品化(DVD-BOXに収録)


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2012-09-14

『ボブ・マーリー/ルーツ・オブ・レジェンド』を見て思い出す1979年、そして吉田拓郎「アジアの片隅で」

レゲエ・ミュージックを世界に広めた伝説的なアーティストとして知られるボブ・マーリー。数多くのヒット曲、名曲を発表すると同時にその思想、その発言は音楽シーンのみならず世界中の人々を魅了していった。波乱に満ちた人生を家族や友人への貴重なインタビューとライヴ映像で綴るドキュメンタリー『ボブ・マーリー/ルーツ・オブ・レジェンド』 (この部分、goo映画より一部抜粋)

Bob_marley

Memo1
ライヴ映像や既存フィルムを繋ぎ合わせるだけでなく圧倒的な量の証言インタビューを元に綴る正攻法ドキュメンタリー。興味深いのがレゲエが生まれた瞬間に関しての証言、そしてスタジオ映像。"スカ"と"レゲエ"の違い。そのリズムのまま"いかにしてレゲエ、ボブ・マーリーは世界へ浸透していったか"が描かれる。エンドクレジット、そうきましたかぁー(と、納得)
オフィシャルドキュメンタリーと言えども女性関係について隠したりせず、そのままの私生活まで浮き彫りにしていて驚いた。出てくる女性たちのボブ・マーリーとの思い出を語る目が本当に嬉しそうで、あー、本当にモテたんだろうなぁということが伺える。
ある証言者
「レゲエはどこまで広がると思いますか?と質問したら"求めている人のところまで届くまで"…つまり世界中って事」

映画『ボブ・マーリー/ルーツ・オブ・レジェンド』公式サイト
http://www.bobmarley-movie.jp/

Memo2
(ここからは少しイレギュラー的な記事になりますが…)
1979年のボブ・マーリー日本公演、最終公演地が大阪フェスティバルホール(そして日本での最初にして文字通り最後となったステージ)。今と違って最初から観客が総立ちになるライヴは少なかった時代にボブ・マーリーが姿を表した瞬間からゾワワワワーという感じでリズムが会場を沸き立たせた(鳥肌もの!)。この年と前年は70年代が終わるということからか多くのミュージシャンが記憶に残るライヴを行っていた。

1979年ボブ・マーリーの日本公演の後(6月頃から)、フォーライフレコード社長業に専念していた吉田拓郎はライヴ活動、オールナイトイベント(アイランドコンサートin篠島)と圧倒的な量で音楽活動を再開(これも前述の70年代の終りと呼応した印象)。翌年80年代に入って、すぐに生まれた曲がレゲエのリズムに乗せた(後にライヴの最後に歌われ続けた)「アジアの片隅で」(詞は岡本おさみ)
過去に作った古い歌は歌わないと宣言された春のツアーのスタート数曲後にレゲエのリズムを刻むギターリフと共に語り口調のメッセージが続き、初めて、この曲が歌われた。(レゲエを取り入れた曲はもう一曲、同年発表の「いつか夜の雨が」)
それほどレゲエと(拓郎さんにしては珍しい直接的なメッセージが込められた)「アジアの片隅で」におけるボブ・マーリーとの有形無形の影響について、ふと、この映画を見ていろいろな思い(思い出したことなど)が頭をよぎった。
(ちなみに1978年発表「英雄」は1977年に死去したエルビス・プレスリーの事を歌ったとされています)

  

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2011-10-12

頑張らなくてもいいでしょう『ツレがうつになりまして。』佐々部清監督、堺雅人、宮崎あおい主演

ツレハルイグ(イグアナ)と(途中から)チビ(カメ)の、ほのぼの(でも、結構真摯に)闘病日記。

漫画家・細川貂々の同名コミックエッセイを映画化した『ツレがうつになりまして。』自身の周辺にもうつ病になった知り合いが何人もいるという佐々部清監督が、4年をかけて映画化にこぎつけた意欲作だ。主人公夫婦を演じるのは宮崎あおい堺雅人。出演は他に大杉漣、余貴美子、吹越満、津田寛治。

物語・漫画家の晴子(宮崎あおい)は、結婚5年目になる夫のツレ(堺雅人)と、のんびりとした日々を送っていた。しかしある日、超ポジティブな性格だったツレが「死にたい」などと言い出 す。病院での診察結果は“うつ病”。原因は仕事のストレスだと思った晴子は、ツレに会社を辞めさせる。ちょっとした事で落ち込んだり、急に気分がよくなっ たり、コロコロと体調が変わるツレ。そんなツレをゆっくり見守りながら、晴子はツレの様子をイラスト日記に綴っていた。(ブルー部分goo映画より抜粋)

Tsureutsu

Memo
生真面目な(毎日お弁当に入れるチーズの種類とネクタイの柄がワンセットで決められているほど)サラリーマンがゆったり生活(「なんかお天道様に申し訳なくて…」の台詞にクスッ)に、どちらかというとマイナス思考のおっとり妻は「ツレがうつになりまして。仕事をください」と出版社の担当者に今までだと言えなかったような事が言えるようになる、しっかり者に変わっていくエピソードの積み重ねが心地良いテンポで(約一年)刻まれていく。
すぐに思い浮かんだこと→吉田拓郎さんの歌「ガンバラナイけどいいでしょう」(「午前中に…」収録)の中に出てくる歌詞「頑張らなくてもいいでしょう 私なりのペースでもいいでしょう」が、そのまま描かれている感じ。それもそのはずで佐々部清監督は拓郎さんの大ファン。2006年のつま恋イベントも見に来ていて更に「結婚しようよ」という超オマージュ作品も手がけたほど。
おそらく頭の中で、この
「ガンバラナイけどいいでしょう」が鳴り響いていたのでは?と推測。(もしかするとインタビューで言及してるかもしれませんが未確認)
原作が幻冬舎なので「もしや」幻冬舎関連の方が、と探してみたけど発見できず。
過去にNHKでドラマ化(3回シリーズ)。この時の主演(夫婦役)は藤原紀香、原田泰造。
ライフスタイルもどことなくカワイイし(またまた最近やたらと多い一軒家)、ふたりの髪型もカワイイ(ツレの髪の毛のハネ具合も結構この映画のチャームポイント)、そしてエンディング前のアニメーションも可愛い。

「ツレがうつになりまして。」公式サイト
http://www.tsureutsu.jp/

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2011-06-10

山下敦弘・監督『マイ・バック・ページ』Have You Ever Seen The Rain?

注・内容、台詞に触れています。
川本三郎がジャーナリスト時代の経験を記したノンフィクション『マイ・バック・ページ』を『リンダ リンダ リンダ』『松ヶ根乱射事件』『天然コケッコー』の山下敦弘監督が映画化。主演は妻夫木聡松山ケンイチ(初共演)。他に忽那汐里、石橋杏奈、韓英恵、中村蒼。そして、まるで本物?と思わせる脇を固めた長塚圭史、山内圭哉、古舘寛治、あがた森魚、三浦友和。脚本は向井康介、撮影は近藤龍人という監督の盟友ふたり。

物語・1969年、新聞社の週刊誌編集部で働く記者・沢田(妻夫木 聡)は全共闘運動が激しい中、理想に燃えながら日々活動家たちの取材を続けていた。それから2年、取材を続ける沢田は先輩記者・中平とともに梅山(松山ケンイチ)と名乗る男からの接触を受ける。そして彼が語る武装決起に疑念を抱きながらも不思議な親近感を覚え次第に引きこまれていく。そして、事件は起きる…。(ブルー部分・プレスより抜粋)

原作、脚本(撮影稿)ともに読んだ上で感じるのは「あの時代」を描いているのではないということ。脚本(撮影稿)から本編でカットされたシーンをみると多くは梅山の登場している部分(ここが入っていると偏った感じになったかも…)
ラスト、沢田の流す涙は懐かしさでも悔恨の念でもない、なんとも表現しがたい涙。青春の終わりとも取れるし、何者ともしっかり接してこれなかった「にせもの感」漂う自分、もう戻ることはできない場所…いろいろな思いが込められている。(後述、映画を見に行ったシーンでの「涙」についての会話とも繋がる)
そして監督インタビューでよく目にする「実際、人がひとり死んでるんでしょう」という事実。そこは突出して長く克明に描かれていることでも、本作へのスタンスがよくわかる。

Mbp_1

MEMO1
原作と映画の間で

川本三郎・著「マイ・バック・ページ」目次

『サンソレイユ』を見た日
69年夏
幸福に恵まれた女の子の死
死者たち
センス・オブ・ギルティ
取材拒否
町はときどき美しい
ベトナムから遠く離れて
現代歌情
逮捕までⅠ
逮捕までⅡ
逮捕そして解雇


色変え部分主なエピソード
(もちろん全体から様々な部分も)

原作からそのまま使われた台詞
倉田眞子(忽那汐里)と映画を見に行くシーン。
『ファイブ・イージー・ピーセス』
「男の人が泣くのを見るのは好き」
「『真夜中のカーボーイ』でもダスティン・ホフマンは『怖い、怖い』っていって泣いたの。覚えてる?」
「いや、覚えていない。泣く男なんて男じゃないよ」
「そんなことないわ。私はきちんと泣ける男の人が好き」

「ギター弾くんですか」
「弾いていいですか?」
「Have You Ever Seen The Rain?」
「おー、雨を見たかい」
「これナパーム弾の事なんですよね」
CCR(Creedence Clearwater Revival)の歌と宮沢賢治「銀河鉄道の夜」この2点だけで沢田は梅山のことを信用してしまう(原作にも、そう書かれている)
※「これナパーム弾の事なんですよね」という妙な知ったかぶり台詞に梅山の胡散臭さも出ているのでは?

原作には映画に出てこない1971年中津川フォークジャンボリーを取材したことも。サブステージでの「はっぴいえんど」の事(「現代歌情」)が書かれていますが、拓郎ファンとしては、やはり「人間なんて」の演奏が…。
思えば「わたしたち」から「僕」への分岐点。

MEMO2
撮影は16ミリを35ミリにブローアップ(フィルムの増感は約倍増感だそうです)。近藤龍人は「海炭市叙景」や「パーマネント野ばら」もそうでしたが、どこかATG映画のような趣のフィルムルックを持っていて、今1番いいなぁと思っている撮影監督です。 
映画館で沢田が見ていた映画(画面にシーンが映るもの)は川島雄三監督「洲崎パラダイス 赤信号」。会話の中や音声のみで出てくるものに前述の「ファイブ・イージー・ピーセス」「真夜中のカーボーイ」。そしてラスト(テロップはでないが1979年)試写会場での「十九歳の地図」。また部屋にいろいろな映画ポスターが貼られている。
主題歌「My Back Pages」はBob Dylanの名曲(Dylanの原曲は「ハッティキャロルの寂しい死」的ですが…)を真心ブラザーズ+奥田民生がカヴァー。

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