都市とモードのビデオノート
ヴィム・ベンダース監督がファッションデザイナー、山本耀司に関する映画を作ってほしいとポンピドゥー文化センターから依頼を受け作成したシネ・エッセー「都市とモードのビデオノート」(公開時の表記はヨージ・ヤマモトではなく山本耀司)。舞台は1987年、秋のパリから88年7月の東京、そしてルーヴル宮でのコレクション発表の秋のパリと約1年にわたって撮影された。
当時ヴェンダース監督はビデオを「敵視」していたが、はじめて映画に導入することとなり、それをどう扱うかが大きく注目されていた。(当時のビデオとは8ミリビデオの事を指しておりデジタルビデオやHDビデオなどの影も形もないホントに今と比べるとウソのように画質の悪いものでした。まさか「スター・ウォーズ」のように丸々一本、映画がとれるなんて誰もイメージしていない時代でした。この作品以降、ヴェンダース監督は積極的にビデオカメラや最新の器材を使用するようになり、後に全編DIGITAL CAMERAで撮影した音楽映画の傑作「ブエナ☆ビスタ☆ソシアル☆クラブ」が生まれた)映画はこのフィルムとビデオの間で揺れる監督とモードの仕事でかかえる矛盾と未来(流行とクラシック)の間で葛藤するデザイナー・山本耀司とが重なり合って、今までに例をみないファッションドキュメンタリーとなっている。
ヨージ・ヤマモトというと、既にその当時Y'sなどにおいて代表されるように黒のイメージが定着していた。その黒という色に関して映画の中でこんなことを言っていました。〜「服作りということで言えば私にとって黒は単純なのです。私がつくりたいのはシルエットや形(フォルム)なので色は必要ないのです。黒の生地は生地でしかない。何らかの色がついていると、そうした色によってさまざまな感覚や感情がついてきてしまう。それがうるさいのです。〜中略〜 時には黒が色彩の行きつくところになる。色を混ぜて混ぜていくと黒になる。この感じがすごくおもしろいのです」〜 映画は仮縫いやリハーサル風景など、克明に写し出していて、最後まで興味深いものとなっていました。
付記・
近年、ヴェンダース監督は16日間という短期間で傑作「ランド・オブ・プレンティ」を、やはり全編DIGITAL CAMERAで撮影しました。
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