注・内容に著しく触れています。なお、映画の特性上パンフや批評はまったく読まないで、このブログを書いています。何かを見たり読むことによって『インセプション』の捉え方をインセプションされることになりますから。もし、未見の場合は何も見ないで、読まないで本編を見ることをオススメします。どう捉えてもいいじゃないでしょうか。映画そのものが夢で、また、夢自体が映画なのですから。
物語・人の夢(潜在意識)に侵入し他人のアイデアを盗む。コブ(レオナルド・ディカプリオ)はそのプロフェッショナル。しかし彼は妻であったモル(マリオン・コティヤール)を亡くした上に国際指名手配をうけて子供たちのいる家にも戻れないでいた。そこにサイトー(渡辺謙)と名乗る男が自分のライバル企業の跡取り息子ロバート・フィッシャー(キリアン・マーフィ)の夢にインセプションを行ってほしいと依頼してくる。見返りはコブの国際指名手配の取り消し、自由の身だ。コブはチームを集め始める。(ジョゼフ・ゴードン=レヴィット、エレン・ペイジ他)
※ルーカスハースが最初のメンバーのひとりに!(ビックリ)
※クリストファー・ノーラン脚本・監督
夢の中の夢。何層にも重なる夢のレイヤー。共同で創り上げる夢。コブの罪の意識が反映される事によって微妙なブレ、モルの出現。トラウマを利用してのフィッシャーへの(気付かれないように、さも自分の判断と思わせるように深い階層で)インセプション。夢のなかではトーテム(ベーゴマのようなもの?人それぞれサイコロだったりチェスの駒だったり…。しかし、他の人使ってないぞ?)は回り続ける。それが現実世界と夢との判断基準。また、それぞれの層で時間も変わる。上の層ほどゆっくり進む(正確には下の階層を実時間とすると上の階層の時間は長い)。その各層でのタイミングを合わせてのキック(蹴り)、いわゆる目覚め。クライマックスでの三層同時進行のサスペンスの面白さ。キックの合図は音楽。ピアフの「水に流して(Non, je ne regrette rien)」。コティヤールの起用は偶然?意図的?壊れる夢の世界(「設計士」の創りあげた世界)に反響音的に響く音楽。ハンス・ジマーの音的仕掛け。(なんといっても『ダークナイト』でジョーカーが現れる際に流れる音を9000種類用意した音楽家ですから…)。エンドクレジット最後に聞こえる「水に流して(Non, je ne regrette rien)」と多重な音の重なり、崩壊音。
「家に帰る」コブの台詞。結局、最初から最後までコブは「家に帰る」こと、だけを望み続ける。何故、望み続けるのか。振り返らないままの子供たち。さて、これは誰の夢なのか?そもそも子供たちはいたのか?映画、冒頭のシーンはラスト数分のシーンと繋がる。成功したかに見えたインセプション。実際行動でコブは夢の第3階層に留まり「必ず戻る」と告げる。しかし…。あれ?戻ったのか?トーテムは…
こんな妄想もしてみる。全てはモルの虚無世界。
「Non, je ne regrette rien」
水に流して~
Non, rien de rien
Non, je ne regrette rien
Ni le bien qu'on m'a fait
Ni le mal Tout ca m'est bien egal
Non, rien de rien
Non,je ne regrette rien
C'est paye, balaye oublie
Je me fous du passe
Avec mes souvenirs
J'ai allume le feu
Mes chagrins, mes plaisirs
Je n' ai plus besoin d'eux
Balaye mes amours
Avec leurs tremolos
Balaye pour toujours
Je repars a zero
Car ma vie, car mes joies
Aujourd' hui, ca commence avec toi.....
いいえ、ぜんぜん
いいえ、私は何も後悔してない
私に人がしたよいことも
悪いことも
何もかも、私にとってはどうでもいい
~略
私の人生も、私の喜びも
今は、あなたといっしょに始まる
インセプション
http://wwws.warnerbros.co.jp/inception/mainsite/
※このブログ記事は筆者の夢の第2、3階層に変化がある度、書き換えられます。(ここで反響音)
※インセプションの本来の訳は「初め,発端」という意味だが、ここでは字幕にあわせて「植え付ける、植えこむ」の意で書いています。
台詞「はじめにアイデアという種が芽生える」「それは、やがて…」
