『ボブ・マーリー/ルーツ・オブ・レジェンド』を見て思い出す1979年、そして吉田拓郎「アジアの片隅で」
レゲエ・ミュージックを世界に広めた伝説的なアーティストとして知られるボブ・マーリー。数多くのヒット曲、名曲を発表すると同時にその思想、その発言は音楽シーンのみならず世界中の人々を魅了していった。波乱に満ちた人生を家族や友人への貴重なインタビューとライヴ映像で綴るドキュメンタリー『ボブ・マーリー/ルーツ・オブ・レジェンド』 (この部分、goo映画より一部抜粋)
※Memo1
●ライヴ映像や既存フィルムを繋ぎ合わせるだけでなく圧倒的な量の証言インタビューを元に綴る正攻法ドキュメンタリー。興味深いのがレゲエが生まれた瞬間に関しての証言、そしてスタジオ映像。"スカ"と"レゲエ"の違い。そのリズムのまま"いかにしてレゲエ、ボブ・マーリーは世界へ浸透していったか"が描かれる。エンドクレジット、そうきましたかぁー(と、納得)
●オフィシャルドキュメンタリーと言えども女性関係について隠したりせず、そのままの私生活まで浮き彫りにしていて驚いた。出てくる女性たちのボブ・マーリーとの思い出を語る目が本当に嬉しそうで、あー、本当にモテたんだろうなぁということが伺える。
●ある証言者
「レゲエはどこまで広がると思いますか?と質問したら"求めている人のところまで届くまで"…つまり世界中って事」
映画『ボブ・マーリー/ルーツ・オブ・レジェンド』公式サイト
http://www.bobmarley-movie.jp/
※Memo2
▼(ここからは少しイレギュラー的な記事になりますが…)
●1979年のボブ・マーリー日本公演、最終公演地が大阪フェスティバルホール(そして日本での最初にして文字通り最後となったステージ)。今と違って最初から観客が総立ちになるライヴは少なかった時代にボブ・マーリーが姿を表した瞬間からゾワワワワーという感じでリズムが会場を沸き立たせた(鳥肌もの!)。この年と前年は70年代が終わるということからか多くのミュージシャンが記憶に残るライヴを行っていた。
●1979年ボブ・マーリーの日本公演の後(6月頃から)、フォーライフレコード社長業に専念していた吉田拓郎はライヴ活動、オールナイトイベント(アイランドコンサートin篠島)と圧倒的な量で音楽活動を再開(これも前述の70年代の終りと呼応した印象)。翌年80年代に入って、すぐに生まれた曲がレゲエのリズムに乗せた(後にライヴの最後に歌われ続けた)「アジアの片隅で」(詞は岡本おさみ)
過去に作った古い歌は歌わないと宣言された春のツアーのスタート数曲後にレゲエのリズムを刻むギターリフと共に語り口調のメッセージが続き、初めて、この曲が歌われた。(レゲエを取り入れた曲はもう一曲、同年発表の「いつか夜の雨が」)
それほどレゲエと(拓郎さんにしては珍しい直接的なメッセージが込められた)「アジアの片隅で」におけるボブ・マーリーとの有形無形の影響について、ふと、この映画を見ていろいろな思い(思い出したことなど)が頭をよぎった。
(ちなみに1978年発表「英雄」は1977年に死去したエルビス・プレスリーの事を歌ったとされています)
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