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2013-04-23

タイトルデザイン 32・スティーブン・スピルバーグ監督『リンカーン』

ピュリッツァー賞作家ドリス・カーンズ・グッドウィンの同名ノンフィクションをもとにスティーブン・スピルバーグ監督が映画化した『リンカーン』主演は本作で3回目のアカデミー主演男優賞に輝いたダニエル・デイ=ルイス。出演はトミー・リー・ジョーンズサリー・フィールドジョセフ・ゴードン=レヴィットジェームズ・スペイダーデヴィッド・ストラザーン、他

Lincoln

Memo1
脚本が『ミュンヘン』(「フォレスト・ガンプ」「インサイダー」のエリック・ロスと共同)を書いた劇作家のトニー・クシュナー
撮影のヤヌス・カミンスキー、プロダクション・デザインのリック・カーター、編集のマイケル・カーン、音楽のジョン・ウィリアムズとまさに磐石のスピルバーグ組による作品。
(いわゆる)伝記映画ではなくリンカーン最晩年(しかも1865年1月の約一ヶ月)の合衆国憲法修正13条成立に絞り込んだ人間ドラマの妙。前半がとくに淡々と正確なシンコペーションを打ち続ける音楽のよう。中盤辺りで、これが逆に心地良くなるかならないかで映画全体の印象が変わるかな、と感じた。
共和党と民主党の2党対立の構図ではなく共和党の中にも保守派と急進派と呼ばれる派閥があったりと今と変わらないなぁと感じた政治の世界。その急進派の先鋒スティーブンス(カツラの頑固な政治家、と自分で言ってましたね←あと、少し懐柔したあとに「彼もいい政治家になってきたわね」と評されるあたりもちょっと面白い)を演じたトミー・リー・ジョーンズ。twitterで早くから今回の得な役回りなどと評されていた。何故、彼はこんなに必死に即時奴隷解放条項盛り込みに拘ったのかがわかるシーンはいかにもスピルバーグ監督らしい描き方。

いくつかの場面。
打電室でのリンカーンと(使節団についての密約的重要な内容)打電する若者ふたりとの会話(台詞)。
リンカーンに
「私たちはこの時代に生きてふさわしいのでしょうか」
そのカメラワーク(遠景のショットからゆっくりとした顔へのクローズアップ)やそして切り替えして繋いでいく編集リズム、スピルバーグならではの詩的なシーン。堪能!
もうひとつは13条へ議決投票の日、ひとり静かに待つリンカーン。柱時計の音がコチ、コチ、コチ、コチと劇場後方から全体を包み込むように広がり(天井が高い劇場だったので余計に効果を感じた)、そして決定の瞬間の空砲と歓声の音が重なる。ホワイトハウス前の群衆と青空

Memo2
タイトルデザインは最近公開映画のかなりの割合で"End Title"を制作している Scarlet Letters
あまりによく目にすることからか、さすがにこうコメントしています「私たちはエンドタイトル専門の制作工房という訳ではありません」と。
Scarlet Letters
http://www.scarletletterstitles.com/Film-Titles

映画「リンカーン」オフィシャルサイト
http://www.foxmovies.jp/lincoln-movie/



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2013-04-21

アンソニー・ホプキンス、ヘレン・ミレン『ヒッチコック』メイキング・オブ・サイコ

ヒッチコックを公私ともに支える妻アルマとの関係と最大ヒット作である映画『サイコ』が完成に至るまでのエピソードを交えて描く『ヒッチコック』。原作はスティーヴン・レベロ著『ヒッチコック&メイキング・オブ・サイコ(原題:Alfred Hitchcock And The Making of Psycho)』

Hitchcock

Memo1
「サイコ」のモデルとなった事件の犯人、エド・ゲインの家から始まり、そのまま「ヒッチコック劇場」や「サイコ」の予告編を踏襲したシーンから始まる。いわゆるバックステージもの(映画完成後の宣伝の仕方部分含め)というだけでワクワクするので、もうこの導入部だけで◯マルなのです。
(幻影的に)エド・ゲインが出てくるのは脚本が「ブラックスワン」のジョン・J・マクロクリンということもあるのだろうか?(おかげでレクター博士とエド・ゲインの対面シーンが見られた訳ですが)
ある時はピカソ、またある時はニクソン元アメリカ大統領、そして(レクター博士)といろいろ演じてきたアンソニー・ホプキンスが(慣れると似ているのかなぁー、とも思ってくるメイキャップ)ヒッチコックを(メイキングなどのインタビューを見ると90分ぐらいで完成するように完璧なそっくりメイクにはしなかったみたいですが)。妻、アルマ役のヘレン・ミレンも、その流れを踏襲した感じ。
ふたりの姿は1979年AFI功労賞(アメリカ映画協会の生涯功労賞)での映像が正式に公開されているので、そちらのリンクを。
AFI Life Achievement Award in 1979

アンソニー・パーキンス役のジェームズ・ダーシーもおどおどした感じで雰囲気が出ていました。
あと(有名な)チーフアシスタントのミス・ペギーをトニー・コレットが演じていたのはエンドクレジットで知って驚いた!
1回目の試写での反応が酷かったため、脚本家のウィットと浮気しているのではないかと疑惑を向けてヒッチコックとぎくしゃくしていたアルマがテキパキと編集、音楽のかぶせ直しなどを行っていくところがよかったなぁ。バーナード・ハーマンの有名なキュッキュッと響く弦の音の追加収録シーンも。

Hitchcock_book

Memo2
ここからはヒッチコックに関してのちょっとしたメモ
植草甚一スクラップブック「ヒッチコック万歳!」(晶文社・刊) 現在入手できるのは1976年のオリジナル版ではなく新装版だけど中はそのまま再現されているので紹介されている作品がほとんど公開当時の新作として語られていてすこぶる面白い。1960年日比谷映画プログラムに書かれた【サイコ】(もちろん新作として!!)の原稿部分。最後はこう締めくくられています→「この映画によって『あいつはサイコだ』というぐあいに流行語になる可能性もあるようですね」
他に来日していたヒッチコックへのインタビュー「ぼくのヒッチコック会見記」もあり(「サイコ」の宣伝のための来日時)。
こんな感じで→「何か特別な理由があってシネマスコープを使わないんですか?」「殊にスリラー映画では手や首のクローズアップで無駄のできない画面サイズでなければならない」
ヒッチコック本というと定番「ヒッチコックを読む」(フィルムアート社・刊)が有名だけど(あ、もちろんトリュフォー「映画術」も)、TASCHENから出てた「ALFRED HITCHCOCK 全作品」もかなり良いです(写真が主体) Memo2上側の写真。

Memo3
ヒッチコックの映画を封切り前に待っていた気分はどのようなものだったのだろう?初ロードショー、ヒッチコック体験はほんとにかろうじて間に合った感じでの「ファミリー・プロット」でした(大阪・北野劇場で)。あと「サイコ」初上映時のようにラスト30分からの途中入場は出来ません映画は(ヒッチコックではありませんが)エリザベス・テイラー主演のスリラー「夜をみつめて」だったと記憶。

映画「ヒッチコック」公式サイト
http://www.foxmovies.jp/hitchcock/


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2013-04-17

村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

注・内容、台詞に触れています。
まあ、このタイトルからして当ブログにピッタリな事はない、ということで村上春樹・著『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
以前書いた記事→「村上春樹・1Q84」と「存在の耐えられない軽さ」

Haruki

Memo
アカアオクロシロ灰谷緑川
そして、"色彩を持たない多崎つくる"
高校時代の正しき五角形から突如スポイルされた多崎つくるが16年の歳月の後、その理由を知るための「巡礼の旅」東京→名古屋→ヘルシンキ

何故か、名古屋、浜松、岐阜。そういえば「国境の南、太陽の西」の時も豊橋が出てきたりと、このあたりは何かあるのかな、とも思ったり。
小説(物語)として伏線は全て回収しきる必要があるか、ないかという点も考えさせられた。灰田の(その後の)こと、灰田の父親のこと、シロの事件のこと。すべての物事の理由を知る必要がないといえば無いし、実際現実社会においても(何故あの時、そうなったかわからない事柄)謎は謎のままなのだし。
本作は著者自体も語っていたとおりジェットコースター的手法は使われず概ね時間軸通り、パラレルワールド世界も(夢の描写はあるが)ない。かといって、いつものリアリズム筆致(残酷描写に多く見られる)もない。読み進めていくうちに「あ、繋がっている?」と思わせる、あの感覚も少ない。ある意味新しい?ニューバージョンの村上春樹?("喪失感"や"失われてしまったけれど確かにそこに存在したもの"など、ハルキワールドではあります)。
時々Anagramを用いたりするので本著作でも色いろあるのでは?と、考えてみたり。わざとステレオタイプ的に女性を清楚なシロ、快活なクロと分けていること。中間的な受け皿としてのglay=灰田の存在など。
沙羅=真っさら(さら)←まさかねー。(これは考えすぎ)
あと、ふと途中思ったのが原恵一監督「カラフル」のこと。

終盤近く(希望的な光)
クロ
ことエリの台詞
「わたしたちはこうして生き残ったんだよ。私も君も。そして生き残った人間には、生き残った人間が果たさなくちゃならない責務がある。それはね、できるだけこのまましっかりここに生き残り続けることだよ。たとえいろんなことが不完全にしかできないとしても」

この台詞も
「ねえ、つくる、君は彼女を手に入れるべきだよ」
(「ダンス・ダンス・ダンス」の「ユミヨシさん、朝だよ」を思いだしたり←このラストが個人的には一番好きかなぁ)

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2013-04-11

沖田修一監督『横道世之介』高良健吾、吉高由里子主演

注・内容、台詞に触れています。
吉田修一
原作の小説『横道世之介』を「キツツキと雨」の沖田修一監督が映画化。上京したての大学一年生・横道世之介の日常と、彼を取り巻く人々の姿を描く。出演は高良健吾吉高由里子池松壮亮伊藤歩綾野剛朝倉あき。音楽・高田漣、主題歌・ASIAN KUNG-FU GENERATION「今を生きて」

Yo2

Memo1
あー、いたいた。あいつ、そういえばどうしてるんだ。えー、そんな奴いたっけ?あれ、お前知らなかったんだっけ。そんな会話の先に世之介がいる。

見どころ、いろいろな台詞
映画の冒頭
引っ越してきたときの新生活始まる感。隣から目覚まし時計の音がずっと鳴り続けるのでドアをノックしてみるが誰も出てこない。そのまた 隣の人が窓から顔を出して世之介に「ずっと、そうなんですよ。あ、シチュー、食べます」「は、ハイ」「あ、いや、別にそんな」(この人本気にするんだという間合いで)
で、1年ほど経過して終幕近く。同じく隣の隣の人が久しぶりに世之介を見て「結構、しっかりしてきたね。最初見たとき、どーなるんだろうって思ったけど…なんか、隙だらけで」
そんな世之介の1年
なんといっても面白くなるのが(いつの間にかずけずけと友だちになった)加藤(綾野剛)のダブルデートのつきあいで行ったとき現れたひとり、与謝野祥子(吉高由里子)が登場して以降。まさに監督のいう"ロマンティック・コメディ"の骨格を持った展開となっていく。
そのデートシーンで世之介の名前だけでウケてひと言
「韻を踏んでらっしゃるのね」
続くハンバーガーをかぶりついて、ふたり楽しく笑うシーンの微笑ましさ。
祥子の実家に呼ばれてのシーン
告白シーンにカーテンぐるぐる巻きになって照れまくる祥子←これ、歴史的名シーンw
こたつの中に入ってケーキの箱の裏に嬉々として「ベルサイユのばら」の落書きを描く祥子。
「これは?」「知らないのですか〜」「オスカルさまですよぉ」
「この子は」
「ピエールです。銃殺されるんですよぉ」
「シャルロットです。自殺しちゃうんですよ」
世之介の実家に行ったときに垣間見せた嫉妬シーン(しかし、世之介は気づいていない)
カメラを始めた世之介に祥子の台詞
「世之介の作品を見る。最初の女になりたいんです」
飄々とした世之介と、どこか浮世離れした祥子を見ているこちらもニコニコしながらを、ふたりの行く末を見守っていく事に(この雰囲気こそが映画全体を覆う多幸感の秘密の一端?)
考えてみたら、このふたり。環境は違えど真っ直ぐさという点では似た者どうしなんですよね。

※ここまで書いて全く倉持くんエピソードを書いていないけど銭湯のシーンや引っ越しのシーンなどいいシーンがあったなぁ、と追記。

80年代という時代設定もあってということで35ミリフィルムで撮影された(けど、上映はデジタルという、まあ現在ではあたりまえになってきた環境)。撮影は「海炭市叙景」「マイバックページ」「霧島、部活やめるってよ」と素晴らしい作品が続く近藤龍人。
フリースタイル22号の中の対談記事でこんなことを語っていました→"70年代を描いた「マイバックページ」は16ミリで、80年代の「横道世之介」は35ミリで撮影したことになるんですよね"
"初めから今回はフィルム撮影でいこうと決めていました"

Memo2
観客は話が進んでいくにつれ、誰もが知りたくなっている世之介の現在を本当に不意打ちのように、DJをやっている千春(伊藤歩)が読んだニュースとして知ることとなる。そのニュース原稿の下読みのシーンが1回目ではよくわからなかったけど2回目に見ると何故、何度も読めていなかったのがよくわかる。
「昨日、じゅうしち、しち…」
「なんか、うまく喋られない。しちって苦手なのかな」
(実はその後の事故で亡くなったカメラマンとなった世之介のことが…)
加藤が一緒に暮らす男性に
「あ、そうか、お前知らないのか」「世之介のこと」ニマニマする加藤。
俺、あいつと知り合っただけで、なんかだいぶ得した気分だ
ラスト
世之介の母から祥子への手紙
(世之介、処女作スナップ写真とともに)
「最近おばさん、こう思うの。世之介に出会えたことが自分にとって、1番幸せではなかったかって。また遊びに来てくださいね。思い出話でもできたらと思います。きっと笑い話ばかりになりそうね」

奇しくも同時期に「世界にひとつのプレイブック」「横道世之介」と自分の中では対になる多幸感にみ満ちた(変則型)ロマンティック・コメディの傑作の誕生です。

Yo1

映画『横道世之介』公式サイト
http://yonosuke-movie.com/


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2013-04-06

サム・ライミ監督『オズ はじまりの戦い』(Oz the Great and Powerful)

1900年に作家L.フランク・ボームズによって発表されたファンタジー「オズの魔法使い」の前日譚をサム・ライミが映画化した『オズ はじまりの戦い
最初は責任感のない、口から出まかせな"ただの奇術師"だったオズ(ジェームズ・フランコ)が徐々に使命に目覚めていく。出演はミシェル・ウィリアムズレイチェル・ワイズミラ・クニス、他

Oz1

Memo1
"私は如何にして軽佻浮薄な奇術師から偉大なるオズの魔法使いになったか"あるいは"私は如何にして人々がイメージする黒い三角帽に鉤鼻を持った箒にまたがって飛翔する魔女になったか"
オズの国には「奇術(マジック)」も「花火」も「いわゆる魔女のイメージ」も存在していないところが面白い。
ジェームズ・フランコのニンマリ笑顔(奇術師としての胡散臭さが出ていてマル)も良いけど、オズの足でブランコ!(みたいにしがみついたり)歩いたときのカッカッといった響きの音とか、泣いたと思えば次のシーンでスキップと本作で見事に場をさらう魅力あるキャラクター(現実世界では冒頭の「歩けるようにして」という少女か)の"陶器の少女"が秀逸。記事最後にメイキング映像へのリンクを張っていますが、本当によくできている。最も笑いが起こったのはオズが魔女退治に連れていってあげるといった後の"陶器の少女"スキップシーンでした。
3人の魔女がすごく分かりやすく(文字通り)色分けされている。良い魔法使い、悪い魔法使い、悪い方に引っ張られた魔法使いをそれぞれミシェル・ウィリアムズ(←白ですがWebでは出ないのでペールグレーで)、レイチェル・ワイズミラ・クニス
それにしてもゴブリンといい魔女といいサム・ライミ監督はgreenが好きなのだろうか。
で、ミラ・クニスは黒鳥に続いて緑色の魔女
契約の関係からか「オズの魔法使」からの直接的なシーン引用が出来なかったみたいですが繋がりが少しずつ垣間見えて面白い(巨大な極彩色の花、案山子、黄色いレンガの道、エメラルドシティ遠景、その前の芥子の花畑など)

いろいろな台詞
エジソンのことをオズが
「彼こそ魔法使いだ」
(ひらめきはプラキシノスコープを使用しての"まさに映像マジック"へと繋がっていく)

良い魔女グリンダがオズに
「偉大さが足りない」
(現実世界で訪ねてきた彼女も同じ台詞を)

ラスト、オズとグリンダの会話
「ここに来たことによって手に入れたんだ」
「最初から持っていたのよ」
「善なる心を」

Oz2

Memo2
●メイキング映像
Oz the Great and Powerful Complete B-Roll
“陶器の少女”の操演も!一度アナログ的に動かして、その後CGとして作り直したからこその"あの動き"なのですね。
●パワフルなオープニングタイトルシークエンス 制作はGarson Yu率いるYu & Co。(最近では「ライフ・オブ・パイ」のあの天国のような動物園オープニングも)本作は、江戸時代の「立てる版古(錦絵)」立版古のような趣(おもむき)での奥行き。
Behind the Dazzling Paper-Theater Title Sequence in "Oz the Great and Powerful"

オズ はじまりの戦い
http://www.disney.co.jp/movies/oz-hajimari/home.html

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『アンナ・カレーニナ』ジョー・ライト監督、キーラ・ナイトレイ、ジュード・ロウ、アーロン・テイラー=ジョンソン、アリシア・ヴィキャンデル、ケリー・マクドナルド、エミリー・ワトソン、他

ロシアの文豪トルストイの最高傑作として知られる『アンナ・カレーニナ』を『プライドと偏見』のジョー・ライト監督が、キーラ・ナイトレイ主演で映画化。19世紀末のロシアを舞台に愛のない結婚をしたヒロインが運命の男性と出会い、真実の愛に目覚める姿を描き出す。出演はジュード・ロウアーロン・テイラー=ジョンソンアリシア・ヴィキャンデルケリー・マクドナルドエミリー・ワトソン、他

Anna

Memo
劇場内舞台劇型演出!と、なると舞台装置がひとつのキーとなるのだが"いわゆる平面"だけでなく上層フロアへも移動したり装置が捌けたら広がる雪原、汽車の鉄道模型はそのまま移動する列車内へなど、この構造(メタ構造)だけでも楽しめてしまう。この場合、脚本にはどのような記述になるのかと調べてみたら"台詞"と"場"と"状況"がフォントを変えて書かれていました(ちょっと美しいScript)
脚本が「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」の戯曲や映画「恋におちたシェイクスピア」のトム・ストッパード。「恋におちたシェイクスピア」も本編の中にシェイクスピア自身が書いた戯曲が織り込まれ(実際の恋も進行し)という、こちらもメタ構造を持った素晴らしい作品でした。「アンナ・カレーニナ」はさらに演出と舞台装置にまで及ぶ手のこみよう。
グレタ・ガルボやビビアン・リーが演じてきたアンナをキーラ・ナイトレイが。ジョー・ライト監督とは3作目!
アンナ、ヴロンスキー、カレーニンが軸でキティとリョーヴィンは対比となるまでの描写はされていない。これは原作自体が長大で全てを網羅するのが不可能なのでしようがないといえばしようがないところ。ただ演出的に舞台に押し込まれた他の出演者と違い実に開放的にして牧歌的なロケ撮影が用いられていて際立つようになっている。
美しいロゴデザインだなぁ、と思ってエンドクレジットをチェック→
Main & End TITLE → Tom Hingston Studio (ジョー・ライト監督「つぐない」「ハンナ」も)
ストーンズのあのアルバムも!
Tom Hingston Studio
http://www.hingston.net/

衣装デザイナーはジャクリーヌ・デュラン
舞踏会での黒いドレス、他の招待客が着ているドレスが全体的にペールトーンというのもアンナを際立たせている(それにしても、この舞踏会、振り付けも美術も何もかもが驚天動地)。あと目を引いたのがワインレッドカラーのドレス。片側のショルダーが落ち気味でやや乱れ、アンナの(抑えきれない)心情を表していてはっとさせる。その後パープル、オペラでの白と徐々に変化していくのが素晴らしい。
「アンナ・カレーニナ」コスチュームデザイン展のVogue記事(view GALLERYで閲覧)Anna Karenina Costume Exhibition - Jacqueline Durran Oscar Nomination Best Costume Design - Ham House (Vogue.com UK)

映画『アンナ・カレーニナ』オフィシャルサイト
http://anna.gaga.ne.jp/




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