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2013-04-17

村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

注・内容、台詞に触れています。
まあ、このタイトルからして当ブログにピッタリな事はない、ということで村上春樹・著『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
以前書いた記事→「村上春樹・1Q84」と「存在の耐えられない軽さ」

Haruki

Memo
アカアオクロシロ灰谷緑川
そして、"色彩を持たない多崎つくる"
高校時代の正しき五角形から突如スポイルされた多崎つくるが16年の歳月の後、その理由を知るための「巡礼の旅」東京→名古屋→ヘルシンキ

何故か、名古屋、浜松、岐阜。そういえば「国境の南、太陽の西」の時も豊橋が出てきたりと、このあたりは何かあるのかな、とも思ったり。
小説(物語)として伏線は全て回収しきる必要があるか、ないかという点も考えさせられた。灰田の(その後の)こと、灰田の父親のこと、シロの事件のこと。すべての物事の理由を知る必要がないといえば無いし、実際現実社会においても(何故あの時、そうなったかわからない事柄)謎は謎のままなのだし。
本作は著者自体も語っていたとおりジェットコースター的手法は使われず概ね時間軸通り、パラレルワールド世界も(夢の描写はあるが)ない。かといって、いつものリアリズム筆致(残酷描写に多く見られる)もない。読み進めていくうちに「あ、繋がっている?」と思わせる、あの感覚も少ない。ある意味新しい?ニューバージョンの村上春樹?("喪失感"や"失われてしまったけれど確かにそこに存在したもの"など、ハルキワールドではあります)。
時々Anagramを用いたりするので本著作でも色いろあるのでは?と、考えてみたり。わざとステレオタイプ的に女性を清楚なシロ、快活なクロと分けていること。中間的な受け皿としてのglay=灰田の存在など。
沙羅=真っさら(さら)←まさかねー。(これは考えすぎ)
あと、ふと途中思ったのが原恵一監督「カラフル」のこと。

終盤近く(希望的な光)
クロ
ことエリの台詞
「わたしたちはこうして生き残ったんだよ。私も君も。そして生き残った人間には、生き残った人間が果たさなくちゃならない責務がある。それはね、できるだけこのまましっかりここに生き残り続けることだよ。たとえいろんなことが不完全にしかできないとしても」

この台詞も
「ねえ、つくる、君は彼女を手に入れるべきだよ」
(「ダンス・ダンス・ダンス」の「ユミヨシさん、朝だよ」を思いだしたり←このラストが個人的には一番好きかなぁ)

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