ミゲル・ゴメス監督『熱波』(原題 : TABU)
『私たちの好きな八月』のポルトガルのミゲル・ゴメス監督による斬新なる傑作『熱波』(原題 : TABU)。出演は舞台女優などとして活躍するテレーサ・マドゥルガ、ラウラ・ソヴェラル、アナ・モレイラ、エンリケ・エスピリト・サント、カルロト・コッタ、他
物語・敬虔なクリスチャンであるピラール(テレサ・マドゥルガ)は、退職後はカトリック
の社会活動団体に所属し、少しでも世界を良くしようと努力している。リスボンに住む彼女は、80代の隣人アウロラ(ラウラ・ソヴェラウ)のわがままに振り
回されていた。そんなある晩、アウロラの体調が急に悪化し、ピラールは彼女にある頼み事をされる。(Brown部分シネマトゥデイより抜粋)
※Memo
●「ロマンスの時代になりつつある。トルストイは正しかった」とはボブ・ディラン、アルバム『欲望』のライナーノーツに書かれていた言葉。全く関係ないがアルバムジャケットの印象と先導的なヴァイオリンのイメージと「熱波」におけるピアノ劇伴の旋律が妙に重なってしまったので記しておきます。
●ミゲル・ゴメス監督『熱波』なんと斬新な事を。甘美なる記憶とはこういうものか…。楽園の喪失が反転する後半、見ているこちら側もその激情にこころ震わさせられる。
特に1部「楽園の喪失」は(意図的ではあるのだが)その展開に、うつらうつらしてしまいそうな、もどかしさもある、が、油断していると見落としてしまうぐらいの短いハッとするショット多数(驚くほどピントのあった画面とか)。長いかもしれないが、これぐらい現在の虚無的、空疎的描写があって描かれる情熱的な2部「楽園」パートのバリエーションの多さ。不思議さを醸しだすのは台詞が無く音楽とナレーションで語られることによるズレ(寝て見る夢の世界と考えると、この語り口調は、美しい部分だけ留めてしまう記憶というものによるものなのかもしれない)
●16mmと35mmフィルム、モノクロ、サイレント映画、ボイスオーバー(会話なしで成立するドラマの妙)、(2時間の映画だが)2部構成、ムルナウ監督の遺作と同タイトル原題(Tabu)。映画の記憶も、またそこに降り立っている。面白いカメラの横移動があった(反復している)
●紙ヒコーキがとりもつ"風立ちぬ"恋もあれば逃げ出した鰐が縁で"熱波"の如く燃え上がる愛もある。(そんなフレーズを思いつくように)奇しくも思い出(記憶)は美しいものだけをある種のファンタジーのような形で浮かび上がらせた2作品を続けて
●時代性、ノスタルジック、甘美さを想起させるThe Ronettes「BE MY BABY」とジャングル。すぐに思い出したのは「欲望の翼」のジャングルの画面に被さるザビア・クガート「シボネイ」が使われていたこと。(これも全く関係ないのだが浮かんできた。通常、イメージはイメージを喚起しないと思われるが、この「熱波」だけは不思議といろいろ浮かんでくる、何故?)
●(監督インタビューによると)ポルトガルの現在の置かれた状況や最後まで植民地政策をとってきた国の内実なども隠しスパイス的に練りこまれている(この辺りの歴史的な部分は不勉強で掴みきれませんでした)。インタビューでオリヴェイラ監督のことをオリヴェイラ師と呼んでいたことが印象的。
映画『熱波』公式サイト
http://neppa.net/
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