ジョゼ・パヂーリャ監督『ロボコップ(Robocop)』(2014年公開版)ジョエル・キナマン、ゲイリー・オールドマン、マイケル・キートン、サミュエル・L・ジャクソン
注・内容に触れています。
1987年製作(日本公開は1988年正月第二弾)のポール・ヴァーホーヴェン監督作"ロボコップ"再起動版『ロボコップ(robocop)』監督はジョゼ・パヂーリャ。出演はジョエル・キナマン、ゲイリー・オールドマン、マイケル・キートン、サミュエル・L・ジャクソン、他
物語・舞台は2028年、巨大企業オムニコープがロボット・テクノロジーを支配する世界。海外ではオムニコープのロボットが軍事利用されている一方、アメリカでは法律で禁止されており、国内でもその技術を広めるため機会を窺っていた。アメリカ・デトロイトで愛する家族とともに暮らす勤勉な警官アレックス・マーフィ(ジョエル・キナマン)は重症を負うが、オムニコープの最新のロボット技術により“ロボコップ”として新たな命を得る。そして…。(物語項、オフィシャルサイトより抜粋)
※Memo1
●パット・ノヴァク(サミュエル・L・ジャクソン)が右派バリバリのホストを務めるTVショー(全く持論以外の意見には聞く耳持たない、形勢不利な場合は途中で打ち切る)で幕をあける(正確にはMGMマークのライオンの声にかぶさって「ぷるぅるぅるぅ〜」と発声練習している部分から)←これ、よくOKが 笑
このパートが軍需産業、煽動番組などに対してのアイロニカルな部分を受け持つ形となっている。
●極めて面白く見られたのはマンマシンインタフェースについての話でもある事と人と機械を分ける2%(制御不能状態に陥った際に脳がコントロールする部分を2%まで下げたときに交わされる会話が興味深かった)についの考察でもあるから。
両手を失ったギタリストが「アルハンブラの思い出」を義手で弾くシーン。最初は上手く弾けているのに感情を込めて気持ちが高まってくると、とたんに乱れてしまう。
果たして感情とロボット(機械)部分とのインターフェースとは?
よく言われてきた脳だけが残り、他は全て機械となった場合、それは「人」なのか、どうかという命題。
その部分を掘り下げるところまでは描かれないところが惜しい(もっとも、そこをテーマにするとまた別の話になるのかもしれないし、ちょっとジレンマ)←相当、カットされている(カットした)形跡も多いし。
●「やっと同じ色になったな」
相棒のルイス刑事とブラックボディ・ロボコップで再会したシーンでの台詞。
(もう少しバディムービー化するかと思った)
その前にシルバーボディ・ロボコップのデザインに対して「もっとミリタリー性のあるデザイン」要望により変更された経緯がある。
●ポール・ヴァーホーベン版『ロボコップ』のメディア風刺と暴力性とはまた別の描き方となっている2014年版「ロボコップ」はロゴ(ベクターデータが出回ったほどの改変不可な"あのデザイン")、テーマ曲(こちらも高揚感のある旋律は唯一無二)、動作音、フィル・ティペットデザインのED-209、そして結果として元に戻ることとなるロボコップデザイン(元のシルバーボディデザイン)、とオリジナル作品へのリスペクトを持ちつつ既に現実的になる身体の部分ロボット化の時代変化に応じた内容になっている(オムニコープ社の教官や警備員などが着用しているパワードスーツなども含め)。そしてデトロイト管轄内犯罪者の全データがインプットされ、さらに監視カメラやその他データなどへのアクセス権を持っていることも怖いし既にリアルな現実とリンクしている。
そういった部分を内包しつつロボット化された夫(父親)と家族とのエピソードをもう一軸に物語は展開される。
●それにしてもゲイリー・オールドマンとマイケル・キートンが同一画面に、しかもある意味表裏一対となる役柄で対峙するとは。いやー、ビックリした。本編自体も面白かったが、ここだけでも嬉しかった。
※Memo2
●ポール・ヴァーホーベン版『ロボコップ』公開時のタブロイド紙型のフライヤー。1、4面が城久人氏による劇画。
センター見開き面にロボコップやED-209、使用されるガンなどの詳細紹介が掲載された秀逸な仕上がり。
ロボコップ | オフィシャルサイト
http://www.robocop-movie.jp/
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