『岸辺の旅』黒沢清監督、浅野忠信、深津絵里、小松方正、蒼井優、他
『岸辺の旅』
原作 : 湯本香樹実
監督 : 黒沢清
出演 : 浅野忠信、深津絵里、
小松方正、蒼井優、他
物語・3年間行方不明となっていた夫の優介(浅野忠信)がある日ふいに帰ってきて、妻の瑞希(深津絵里)を旅に誘う。それは優介が失踪してから帰宅するまでに関わってきた人々を訪ねる旅で、空白の3年間をたどるように旅を続けるうちに、瑞希は彼への深い愛を再確認していく。やがて優介が突然姿を現した理由、そして彼が瑞希に伝えたかったことが明らかになり…。(物語項、シネマトゥデイより抜粋)
※Memo1
●オレンジ色のコート。
すっと画面端に現れる優介(浅野忠信)
「俺、死んだんだよ」
すかさず瑞希が言う。
驚くこともなく、さも当然のように。
「靴」
(この最初に映った優介の足が暗くてなにもないように見えている)
●ふと思い出したように白玉の材料を買ってきて、ちゃちゃっと作り上げる瑞希。(この手際よい料理シーンがものすごくよかったなぁ)
●監督自ら語っているとおりメロ+ドラマ(それもダグラス・サーク監督作品のような趣きで)として高らかに"鳴る"音楽。
それとは相反する虫の声、風の音、かさかさと鳴る木の葉、子どもの声…。
●生者である蒼井優(生前、優介と関係があった女性、朋子役)が最も恐いという病院でのシーン。
(まさに女優ふたりの火花が散る場面でもあります)
「お茶でいいですか」
机に向い合って座る。それぞれ正面から捉えたショット。
そして、この台詞。
「こんな人だったんだ」
●直接的に関係あるわけではないけれど横尾忠則さんの『彼岸に往ける者よ』(1978年刊/後に『地球の果てまで連れてって』に改題)というタイトルを思いだした。横尾さんの本は近著『言葉を離れる』もそうだけれど彼岸と此岸を往来するかのような浮遊感に震えをおぼえる。本作も映っているものは生者と死者、或いは死者と死者。島影(小松方正)をおぶって介抱する雄介(浅野忠信)の姿、それはどちらもこの世の人間ではない者を我々は見ていたのだということを、あとでよくよく考えると本当に震えを抑えずにはいられない。
●島影の投げ捨てるように言う台詞も怖かった。
それは優介が瑞希のことを行方不明になった島影の奥さんに似ていると言っていたことに対しての反応の台詞。
「がっかりですよ」
●優介が瑞希のもとに辿りつくまでの3年の道程を逆に戻って行く旅。それは「さようなら」を告げる旅であると同時に生者が死者を死者が生者を思いつなげ留めているものからの決別の旅でもある。
「うちへ帰ろう」「このまま、この町で暮らせたらいいのに」思いをぶつけてきた先のラストたどり着いた海辺の岸での瑞希。「やれることはなんでもやってみようと思って」と書き上げたお札を燃やす際の優介の台詞。
「お札、案外、効果あったのかもな…」
そして、すっといなくなる(消える)優介。
最後は「さようなら」ではなく「また会おうね」で締めくくられている。
※Memo2
●文學界11月号・黒沢清×蓮實重彦『岸辺の旅』をめぐってより抜粋→抱き合ってキスしたりしているところは「ウディ・アレンの『それでも恋するバルセロナ』のスカーレット・ヨハンソンとハビエル・バルデムのように」と言って見てもらって、あとはカメラ回しますから、お願いします。どうぞ」と。
●前作『リアル』に続いてスコープサイズ。
本格的にやったのは今回が初。
同上文學界対談より抜粋 >「日本ではシネスコ用のアナモフィックレンズの数が少なくてシーンによっては普通に撮ったものの上下を切っているんです。」
(次回作『銀板の女』は全てのカットをシネスコ用アナモフィックレンズで撮影)
●『PICT UP』2015年10月号・黒沢清監督インタビュー "旅映画は?"という質問に対して最終的に出した答え 「僕の1番の旅映画は『宇宙戦争』です」
●パンフレットデザインは大島依提亜さん。
重なりあう表紙は優介と瑞希のようでもあり、祝儀と不祝儀の間の水引無し袋のようでもあり美しい。
(その、ちょうど真裏が彼岸と此岸を繋ぐ滝のシーンが配されている)
映画『岸辺の旅』公式サイト
http://kishibenotabi.com/top.html
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