『64 -ロクヨン- 後編』瀬々敬久監督、佐藤浩市、永瀬正敏、緒形直人、綾野剛、瑛太、仲村トオル、三浦友和、他
注・内容、犯人、ラストに触れています。
『64 -ロクヨン- 後編』
監督 : 瀬々敬久
出演 : 佐藤浩市
永瀬正敏、三浦友和、緒形直人
綾野剛、榮倉奈々、瑛太、夏川結衣
窪田正孝、坂口健太郎、筒井道隆
鶴田真由、赤井英和、菅田俊
烏丸せつこ、小澤征悦、椎名桔平
滝藤賢一、奥田瑛二
仲村トオル、吉岡秀隆、他
物語項、前編のブログメモはこちら → 『64 -ロクヨン- 前編』
※Memo
●なるほど、こう変更してきたか。
(原作未読なのでドラマ版と比較)
でも嫌いではない。
前編の不思議な熱は、どうしてもラストへ向けて、まとまってしまうこととなるので常温化していくことは仕方ない。
それよりも瀬々監督は原作やドラマ版よりも犯人に対して断罪的に描きたかったのではないだろうか?
●まず原作小説との違いについて
以下【小説の流儀、映画の作法 横山秀夫(原作者)×瀬々敬久(映画監督)】より引用
"小説ではラストで、三上があくまで広報官として「ロクヨン」に関わり、それまでの出来事を自分なりに消化していきます。でも映画では、広報官としての一線を越えて、一人の人間として事件と対峙する主人公を作りたいと思っていたんです"
対談・全文はこちら↓
本の話WEB
http://hon.bunshun.jp/articles/-/4761
●NHKドラマ版(全5回・大森寿美男・脚本)
ドラム缶の下に置かれたメモの上半分を破って飲み込むのは同じだが、その後釈放され、再び長女が誘拐されたと思い込みロクヨン事件の犯行現場に呼び戻されることとなる映画と違って「目先が落ちた」のひとことで終結したことを知る。
ラスト、家出した娘からと思しき電話で幕を閉じるところは同じ。
各話につけられたサブタイトルがそれぞれ「窓」「声」「首」「顔」そして最終話が「指」!
●そして、映画。
『復讐するは我にあり』での三國連太郎、緒形拳共演を彷彿とさせる場面があるのでは?と、公開前から期待されていた佐藤浩市と緒形直人の直接対峙するシーン。
追いかける三上。
逃げる目先(緒形直人)
「どうして殺してしまったんだ」
「わからないんだ」
一瞬、佐藤浩市とのあいだに間(ま)があいて掴みかかる三上。
ここで、もし理由付けされると「そんなことで殺してしまったのか」といった台詞展開となるので、あの答えでよかったような気がします。
ロクヨン事件に関わったすべての人に傷を残すこととなったが、忘れてはならないのは亡くなったのは雨宮(永瀬正敏)の娘ということ。
そのこともあっての目先への何よりも重い罰ともとれる場面を用意したのでは?と、思えるのだ。
あと、ドラマではテレビという規制もあってか、犯行シーンなどがなかったように記憶する(あったとしても覚えていないということは印象が薄かったのかもしれない)
思えば、出かけていく雨宮の娘・翔子がどんと焼きで使う餅のささった枝を持って出かけていく姿を捉えたショットがラストのどんと焼きシーンへとつながっていたのだなぁ、と思った。
●前編との繋がり。
三上が雨宮宅を訪ねていった際に仏壇の前に置かれた電話帳をさっと避ける場合、その雨宮の指のアップ、ボサボサだった髪型が整えられた時期などが描かれていたが三上が、ロクヨン模倣誘拐事件を追ってる途中に、思い起こしたのシーンが電話帳の部分。そして番号部分が黒ずんだ公衆電話。
そして、今回もドローン撮影がいくつか。
ラストの川に向かって目先を追いかける三上のシーン(こういうショットはクレーンとも違っていて印象的)
●『ちはやふる』を見ても思ったことだが、2部作公開の場合、そのタイトルの出し方に特徴が。
前編のシーンがいくつか流れ、三上の顔のアップ、目に寄っていってスコープサイズの右下に手描きによるメインタイトルが出る。タイトルデザインは赤松陽構造さん
映画『64‐ロクヨン‐前編/後編』公式サイト
http://64-movie.jp/
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