« "黄色のテレキャスター"『吉田拓郎 LIVE 2016』DVD&Blue Ray | トップページ | 『ラ・ラ・ランド(La La Land)』デイミアン・チャゼル監督、ライアン・ゴズリング、エマ・ストーン、J・K・シモンズ、他 »

2017-02-16

『たかが世界の終わり(Juste la fin du monde/It's Only the End of the World)』グザヴィエ・ドラン監督、ギャスパー・ウリエル、マリオン・コティヤール、ヴァンサン・カッセル、レア・セドゥ、ナタリー・バイ

注・内容、ラストに触れています。
たかが世界の終わり
Juste la fin du monde
It's Only the End of the World

監督 : グザヴィエ・ドラン
出演 : ギャスパー・ウリエル
ヴァンサン・カッセル
マリオン・コティヤール
レア・セドゥ
ナタリー・バイ

End

Memo1
フィックスで、この家族劇を捉えてしまうと本当にきつくて耐えられなかったかもしれないところを、表情のアップと心象風景、編集と色彩のリズム、効果的な音楽(「マイアヒ」が流れたときの一瞬、表出する思いで)などで見せる。
冒頭、空港からのタクシー移動中にリアウインドウ越しに見える、ふたつの寄りそって上がる風船はわざわざ飛ばしたのだろうか?
(他にもペア、対としていろいろなものが写る。それを車中からながめるルイ)
ルイ(ギャスパー・ウリエル)と母親マルティーヌ(ナタリー・バイ)、ルイと妹シュザンヌ(レア・セドゥ)、ルイと兄アントワーヌ(ヴァンサン・カッセル)
それぞれ、ふたりきりになろうとも、そのよそよそしさ、もどかしさ、ためこんできたものの12年の距離は埋まらない。
その中で兄の妻カトリーヌ(マリオン・コティヤール)だけは初対面(冒頭、エッ!?初めて顔をあわすの?と母や妹が驚くシーンがある)ということもあって、少し抱いている感情は違う。それどころか家族が気づかないルイの病気のこともわかってしまう。
「あと、どれぐらいなの?」
(コティヤールのこの表情芝居のなんという上手さ!)
また母親(これまた『わたしはロランス』に続いてナタリー・バイがスゴイ)のなんとか空白の空気と気まずさを埋めようとする饒舌ぶり、そして「母親にも新しい住所が教えられないの」といいつつも抱きよせ「それでも愛している」というときの表情、指先。
ふたりだけのシーンと家族全員が揃うシーンがバランスよく配置されている構成もスゴイ。
感情がぶつかり合うドラマなのだが、どこか理知的、理性的な印象をうけるのは、そのせいかもしれない。
いわば"感情"を"外部化"して見せているともいえる、その演出作法は演劇ではない"ディスコミュニケーションを表した現代の映画文法"として、ものすごく先鋭的だ。
先の母親の指先もそうだが、兄の拳の傷の生々しさ(あきらかに人に暴力をふるったとおぼしき傷あと)、手紙・葉書をすごい早さで繰る手など、それぞれの登場人物たちの"手の表情"も素晴らしい。
カンヌでの監督とマリオン・コティヤールとのインタビューでの監督の言葉。
「重要なのは、ある午後彼らが一緒に時を過ごしてひとつの空間でどうなっていくのか。誰かが耳を傾けていて誰かは上の空。誰が誰を見ていて誰が誰を守ろうとしているか。そしてそれは人生そのものだ。これは瞬きのような、とても限られた一幕だ。お互いに驚くほど無関心で愛し合い方を知らない人たちの人生の中でね」

Memo2
いったいどうすればこのようなブレのない色彩設計になるのか?
・美しい思いでとしての心象風景の色(空の青、幸せな光の色…)
・兄と車の中なら話せるかもしれないと出かけたドライブ、その際の曇天たる外の風景の色。
・ラスト、時刻が夕刻ということでオレンジ色に燃えさかるような色合いに変わる。
(そこで感情と感情がぶつかり合い、最後、何も告げずふりかえることもなくルイは去っていく)
カラリストは誰?ということで調べてみた。
Jerome Cloutier
http://www.imdb.com/name/nm4656752/
(前作『Mommy/マミー』と次回作も!)
ドラン監督によるAdeleのミュージックビデオ ‘Hello’についてCOLORIST ジム・ウィックスによる記事
https://www.jimwicks.com/adele-says-hello-to-color-grading/
パンフレットデザインは大島依提亜さん。
表1~4を除く正味本文が56ページ!(黒に銀刷り)
ジャン=リュック・ラガルス原作『まさに世界の終わり』の訳者齋藤公一氏、他、Reviewが6本!
監督、出演者インタビュー、フィルモグラフィ、
プロダクションノートと超充実した内容。
"家は救いの港じゃない"と繰り返される
オープニング Camille 「Home Is Where It Hurts
"誰にも届かない 心の叫び"と歌われる
エンドタイトル Moby「Natural Blues
(共に訳詞も掲載)

End_2

Memo3
『たかが世界の終わり』と『マリアンヌ』のマリオン・コティヤールを見て思いついたけれど、昔あったテレビ『どっちの料理ショー』もじりで『どっちのコティヤール』という番組はどうでしょう?全く別人か!?と思えるほど落差のある役を演じた俳優を特集。
(あ、『どっちーも・デ・ニーロ』という響きもいいなぁ)
ドラン監督次回作は初の英語作品。
キット・ハリントン、ジェシカ・チャスティン、ナタリー・ポートマン、エミリー・ハンプシャー、スーザン・サランドンらが出演する"The Death and Life of John F. Donovan" (既にファンメイド予告編とか撮影風景とか結構出ていてビックリ)

映画『たかが世界の終わり』公式サイト
http://gaga.ne.jp/sekainoowari-xdolan/

|

« "黄色のテレキャスター"『吉田拓郎 LIVE 2016』DVD&Blue Ray | トップページ | 『ラ・ラ・ランド(La La Land)』デイミアン・チャゼル監督、ライアン・ゴズリング、エマ・ストーン、J・K・シモンズ、他 »

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『たかが世界の終わり(Juste la fin du monde/It's Only the End of the World)』グザヴィエ・ドラン監督、ギャスパー・ウリエル、マリオン・コティヤール、ヴァンサン・カッセル、レア・セドゥ、ナタリー・バイ:

» 『たかが世界の終わり』 自己憐憫の先にあるもの [映画批評的妄想覚え書き/日々是口実]
 『わたしはロランス』『トム・アット・ザ・ファーム』などのグザヴィエ・ドランの最新作。  原作ジャン=リュック・ラガルスの戯曲『まさに世界の終り/忘却の前の最後の後悔』。なぜか映画の邦題は「たかが」となっていて、原作とは異なる。「たかが」と「まさに」では意味が違うと思うのだけれど……。この映画の原題も英語版は「It’s only the end of the world」で、フランス語版で...... [続きを読む]

受信: 2017-02-19 17:33

» 『たかが世界の終わり』 中身とスタイル [Days of Books, Films]
Juste la Fin du Monde(viewing film) 中身とス [続きを読む]

受信: 2017-02-19 19:16

» たかが世界の終わり [映画的・絵画的・音楽的]
 『たかが世界の終わり』を新宿武蔵野館で見ました。 (1)昨年のカンヌ映画祭でパルム・ドールに次ぐグランプリを獲得した作品ということで(注1)、映画館に行ってきました。  本作(注2)の冒頭では、「しばらく前に 世界のどこかで」との字幕が映し出され、客室乗...... [続きを読む]

受信: 2017-02-24 20:11

» たかが世界の終わり [佐藤秀の徒然幻視録]
公式サイト。カナダ=フランス。英題:It's only the end of the world。ジャン=リュック・ラガルス原作、グザヴィエ・ドラン監督。ギャスパー・ウリエル、レア・セドゥ、マリオン・コティヤ ... [続きを読む]

受信: 2017-02-24 23:25

» 「たかが世界の終わり」:家族はつらいよ [大江戸時夫の東京温度]
映画『たかが世界の終わり』は、すごく古典的な舞台劇みたいだなあと思ったら、本当に [続きを読む]

受信: 2017-03-05 23:05

» たかが世界の終わり ★★★・5 [パピとママ映画のblog]
「わたしはロランス」「Mommy/マミー」のグザヴィエ・ドラン監督が、38歳の若さでこの世を去ったフランスの劇作家ジャン=リュック・ラガルスの戯曲を豪華キャストで映画化した家族ドラマ。自らの死を告げるために帰郷した34歳の主人公と、それを迎える家族の葛藤と、不器用ゆえの切ない心のすれ違いを緊張感あふれる筆致で描いていく。主演はギャスパー・ウリエル、共演にナタリー・バイ、レア・セドゥ、ヴァンサン・カッセル、マリオン・コティヤール。 あらすじ:人気作家のルイは12年ぶりに帰郷し、疎遠にしていた家族と久... [続きを読む]

受信: 2017-04-24 15:34

« "黄色のテレキャスター"『吉田拓郎 LIVE 2016』DVD&Blue Ray | トップページ | 『ラ・ラ・ランド(La La Land)』デイミアン・チャゼル監督、ライアン・ゴズリング、エマ・ストーン、J・K・シモンズ、他 »