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2018-02-28

さあ、お飛び ! お飛び !!『花筐/HANAGATAMI』大林宣彦監督、窪塚俊介、満島真之介、長塚圭史、柄本時生、矢作穂香、山崎紘菜、門脇麦、常盤貴子、他

花筐/HANAGATAMI

監督 : 大林宣彦
原作 : 檀一雄
出演 : 窪塚俊介満島真之介
長塚圭史柄本時生
矢作穂香
山崎紘菜門脇麦
常盤貴子
村田雄浩、武田鉄矢
入江若葉、他

物語・1941年春、叔母(常盤貴子)が生活している佐賀・唐津に移り住んだ17歳の俊彦(窪塚俊介)は新学期を迎え、美少年の鵜飼(満島真之介)やお調子者の阿蘇(柄本時生)、虚無僧の如き吉良(長塚圭史)らと勇気を試す冒険に熱中していた。肺病に苦しむ従妹の美那(矢作穂香)に恋する一方、女友達のあきね(山崎紘菜)や千歳(門脇麦)とも仲がいい。そんな彼らに、いつしか戦争の影が忍び寄り…(物語項、シネマトゥデイより抜粋)

Hanagatami

Memo1
「さあ、お飛び ! お飛び !!」
「殺されないぞ、戦争なんかに!」
いつの間にか「戦争三部作」とよばれるようになった『この空の花-長岡花火物語』『野のなななのか』に連なる作品(確か最初はそう呼ばれていなかったと思うけれど、本当にいつのまにか)
デジタルの扱いがこなれてきたと言えば失礼にあたるかもしれないが、そのバランス、ケレン味含め、本作が個人的には三部作中最も好きな作品となった。
上映時間2時間49分。
決して短くはない。
だが長くもない。
むしろ気がつけば終わっていて短いぐらいだ。
なんという芳醇な時間的贅沢さ。
映画が終わって場内が明るくなった時に湧き立つ観客席の"静かな熱"とも呼べる空気感(高揚感)は忘れられない。
冒頭のナレーション。
「昭和12年はまことに陰鬱な年であったと檀は述べている」
「その年、檀一雄25歳」
「これはあの戦争の時代を一生懸命に生きぬこうとした当時の若者たちによる青春の筐である」
そのあとに続くナレーション(僕こと主人公である俊彦)では「ここは架空の町であってもよい。またいつの時代であってもよい」と続く。
そう!この映画は現在へとも地続きなのだ。
鵜飼に憧れて煙草を拾う俊彦、それを見ていた笛を吹く吉良。調子にのり熱湯に手をつける阿蘇。美しい叔母、舞う花びらと血と月のイメージ美那、吉良との刹那的な思いが揺れる千歳、店の切盛りで男顔負けのあきね。各人のキャラクター立ちが際立っている。
そこで芽生える考えの対立、不良のまねごと、恋心…
それらを全てかき消してまうように忍び寄る戦争の影(教授に届いた赤紙のくだりなど、本当に怖い…)
鵜飼の台詞。
青春が戦争の消耗品だなんて、まっぴらだ

Hanagatami_p
Memo2
パンフレットデザインは岡崎直哉氏。
48ページ。
監督による演出ノオト。
完成版ではカットされた冒頭に入っていたといわれる大林監督が少年時代に描いた「戦争画」についても写真と絵、テキストで紹介されている。
批評、対談、盛りだくさんの充実した内容。

Hana_3

Memo3
いくつかのインタビューなど。
1月27日
大阪ステーションシネマ舞台挨拶。
監督が舞台袖から現れて、まず行ったのはスクリーンを見上げて手を振り挨拶。
話はフレッド・アステアから手塚治虫(10歳年上「手塚治虫お兄ちゃん」と呼んでいた)、そしてガンとの関わり方についてなど、まったく途切れることなく、あっという間にマスコミ用フォトセッションが入るか入らないかの30分ぎりぎりまで話されていた。
1月30日 MBS「ちちんぷいぷい」
27日の舞台挨拶の映像(上記画像)とインタビュー
「このごろ大林は戦争映画を撮りだした」と言われているんですが、それは間違いであって「戦争を体験したから映画を撮っているんだ」と。
と、いう言い方のほうが私の場合は正しいんだろうと。
2月22日「ゴロウデラックス」
課題図書は『大林宣彦の体験的仕事術』
番組内では、なんと!16mmで撮られた『喰べた人』の岸田森さん出演シーンやマンダムCMや『HOUSE/ハウス』『転校生』などが紹介された。
「3歳 映写機で遊ぶ」のテロップ。
監督のひとこと。
映画館で観る前に映画を作っていた

『花筐/HANAGATAMI』公式サイト
http://hanagatami-movie.jp/

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2018-02-25

『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』ソフィア・コッポラ監督、ニコール・キッドマン、キルスティン・ダンスト、エル・ファニング、コリン・ファレル、他

The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ
The Beguiled

監督 : ソフィア・コッポラ
出演 : ニコール・キッドマン
キルスティン・ダンスト
エル・ファニング
ウーナ・ローレンス
アンガーリー・ライス
アディソン・リーケ
コリン・ファレル
、他

物語・南北戦争下のアメリカ南部。世間から隔絶された女子寄宿学園で生活している園長マーサ(ニコール・キッドマン)や生徒(エル・ファニング)ら女性7人は、けがを負った北軍の兵士・マクバニー伍長(コリン・ファレル)と遭遇する。敵方ではあるが、彼女たちは彼を屋敷に運んで介抱する。園長をはじめ学園の女性たちは、容姿端麗で紳士的な彼のとりこになってしまう。(物語項、シネマトゥデイより抜粋)

Be1

Memo1
南部のプランテーション様式の館、そしてあの土地独特の植物スパニッシュ・モス(「真夜中のサバナ」を思いだした!)、きのこ(粘菌質)。
培養されているような女性たちだけの寄宿舎に異物(負傷した男性兵士)が…。
ソフィア・コッポラ監督らしく、さらりと描いているように見えてレイヤーの下にはじっとりと…
(もっと、どろっとした感じで描かれるのかと思いきや一般的に言われる愛憎劇とは違った感触。しかし終盤、突如変貌するマクバニー伍長は現代におけるDV的要素の意味合いも?)
比較
同じ原作を元に映画化されたドン・シーゲル監督『白い肌の異常な夜』はタイトルバックからして南北戦争のスチールにラロ・シフリン(!)の音楽が重なる濃いオープニング。
マーサと兄との間に起こっていたこと(ドロドロ)、黒人のメイド(いかにも南北戦争時)や象徴的な傷を負った鴉など省かれたエピソードも多い。
そして、マーサと教師エドウィナの嫉妬に燃えるシーンはもっと激しく(終盤、叩きあうシーンもあった)やラストの歓送会と称した企みのディナーで出される毒きのこもエミーが(それこそ、さりげなくマーサから採ってきてと匂わされつつも自分の意志で)採ってきたものという設定(口元がニヤッとする場面の怖いこと怖いこと)
しかし本作では上流階級出身のマーサと教師のエドウィナ(キルスティン・ダンスト)との育ちの違いをドレスの肩出しに対してチクリと言葉で射す程度。(ほとんどが視線か言葉で)
衣装が戦時の割には清潔な汗のイメージがひとつもない白基調のものが多いことも特徴的。(ドレスはさらにカラフル)
室内インテリアや食器、フランス語の授業、お祈りの時間、洗濯を乾したり畑を耕したりの日常などが細かく描写されている。
The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』がヨーロッパビスタ(1.66:1) ドン・シーゲル監督『白い肌の異常な夜』はアメリカンビスタ(1.85:1)とアスペクト比が違う。
(よって、シネコン張りキャン・スクリーン上映では左右に黒みが残っていました)

Be2

Memo2
あきらかに狙っている誰かの視線のような周辺が微妙に暗い、まるでピンホールカメラで撮ったようなショット。
該当場面→マクバニーがエミーが門に脱走兵がいる印として青い布を結んでいるところをマクバニーに見つかり悲鳴をあげる。あわてて庭に飛び出したマーサを捉えたシーン。
(いろいろ記事などを読んでいくとビンテージレンズが使用とある)
メイキング映像を見ると驚くことに、ものすごく明るいライティングで撮られている(自然光もいかしてはいるが、かなり意図的に光のコントロールが行われていてビックリ。)
ゆえに全体の屋外と室内との差異を色彩調整したものと思われる。
Go Behind the Scenes of The Beguiled
https://www.youtube.com/watch?v=ipAT_WzPK-Y
Title Design > PETER MILES STUDIO
(ソフィア・コッポラ監督の前2作「SOMEWHERE」「ブリングリング」に続いて)
ポスターなどに使用されているものと本編のメインタイトルでは同じスクリプト系でも書体が違うものになっている。
衣装デザイナーはステイシー・バタット
スケッチなどが掲載されたEW誌・記事
南北戦争が始まる前に持っていた衣装しかないという設定(故にパステルカラーの衣装を着ている)で、何度も何度も洗濯され日にやけて、少し褪せたイメージを作り出した。
http://ew.com/movies/2017/10/04/the-beguiled-sofia-coppola-costume-design/
そう考えると記事タイトルにあるように一種のゴーストストーリーとしても捉えられるかもしれない。その象徴的な門に閉ざされた館の中は時が止まった戦前のままなのだから(遠くで砲撃の音がずっと聞こえているが戦争のシーンは出てこないし…)

『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』公式サイト
http://beguiled.jp/

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