『竜とそばかすの姫』細田守監督、中村佳穂、佐藤健、成田凌、幾田りら、他
『竜とそばかすの姫』
監督 : 細田守
キャスト : 中村佳穂、成田凌
佐藤健、幾田りら、染谷将太
玉城ティナ、森川智之、津田健次郎
小山茉美、宮野真守、森山良子
清水ミチコ、坂本冬美、岩崎良美、中尾幸世
※Memo1
●元々、細田守監督は訴えたい主題などなく描きたい世界(よくインタビューで目にする誰も見たことのない世界、もしかしたら主題隠しの可能性もあるが今後の作品を見ていかないと、まだ断定の域ではない)があるだけといった作家と思っているので『未来のミライ』はイマイチだったけれど、本作は逸脱したエモーション(中村佳穂の歌)が物語の基盤やディティールやセンシティブな部分の雑さを覆い隠したところがあって結果プラスに68%動いた。
●その辺が賛否分かれる世評になっているのでは?
主人公のひとりに全ての負わせるパターンもいつも通りだし。
特にひとりで行かないでしょーという締めへのシークエンスは特に。
●周りの見た友人に聞くと『未来のミライ』の方がよかった人は本作がイマイチ、嫌いって言ってて、そこ掘り下げていくと見えてくるかも。
●ツッコミどころベストテンなどをやったらすぐに埋まるぐらいツッコミできるけど、そこは前述プラス後述通り。
(あんな数のフォロワーがいたら、竜/の居場所、すぐに特定できそうとか、他のAs扱いが雑とか、歌は日本語?とか)
●12年後のインターネット世界とリアルワールドを描いている部分は成功しているのに、家族の問題(父と娘)や限界集落や同調圧力やDV(ここ、センシティブな問題につき本作での扱い雑すぎ)と、いろいろ詰め込みすぎている感も。
●”竜がそんなに迫害を受けるほどの迷惑や犯罪を犯しているように見えないのに何故忌嫌われてしまっているのか”問題もある。
そこは醜悪という意味合いとも違う。
実はすべての元凶たる「悪」は実態を暴く権限(アンベイル=正体を暴く)を持ったジャスティス(自警団)とジャスティン側では?と思わせる節も多々ある。(そもそも権限を渡した5人の賢者って何?実在?そしてジャスティンをサポートするスポンサーロゴの醜いこと醜いこと)
すべて説明不足だが、ジャスティンはパンフレットには一切その姿を現していないが隠し意図?(単純にネタバレなら竜の記載ページ、注釈入りでネタバレしているし)
※Memo2
●ボディシェアリングのデバイス、よいなーと思ってチェックしていたら細田監督、<U>のアバター構築の際、玉城絵美さんに取材してたのですね。数年前に見た「セブンルール」の衝撃を思い出した。
●途中で少し色彩設計が変わるシーン。
背景美術がカートゥーン・サルーンと聞いて納得(しかし、他のジン・キム、エリック・ウォン含めいろいろ豪華)
●ひとかわむいたろうとぐっとこらえ丸、というネーミング。
このキャラクター含めイラストレーターとのコラボも多々。
声優に中村佳穂や幾田りら、音楽も「音楽村」を使っての作業含め、多種多様な方面から参加している。これ自体がリアル「U」でもある?
●ペギースーって出てきたときにコッポラ監督の映画を思い出してしまった。
millennium paradeに参加しているermhoiがもう一人の歌姫というところにも本作における「歌」の重要性を感じた。
※Memo3
●パンフレットと入場者配布ステッカー(裏面にSpotifyプレイリストQRコード)。
パンフに劇中で歌われる楽曲の歌詞掲載あり(これは絶対的に入れたと予想)。
この歌詞が後で読むと心情がわかるのだが、それを字幕で入れてしまうのも違ってくるし…(逆に海外マーケットでは堂々と字幕が使える。そう、よく洋画で歌詞に字幕が必要な作品があるように)
※Memo4 蛇足
(番外編或いは細田作品放り投げに対しての耐性の話)
●拓郎さんの(もう今では絶対に歌わないであろう)『ファミリー』や『望みを捨てろ』を70年代から80年代にかけて聴いてきたので、細田作品の一連の作品の放り投げ感への耐性があるので大丈夫なのかな、と。「My family」に続いて「ひとりであることに変わりなし」「ひとつになれないお互いの」や「ひとりになれない ひとりだから」「最後はいやでも ひとりだから」とか。(「望みを捨てろ」は岡本おさみ作詞)
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